「君、影薄いね」と貴方は言った

ネットの片隅に生きるだらだらしたアラフォーブログ

某件についての不倒城についての所感

 ややこしいな。

 先日起こった痛ましい事件については、特にブログに書くようなことはないのですが、その件に関してしんざきさんのブログで触れている部分に対して、少し思うところあり、書き残しておこうと思います。

hagexさんに「問題」や「責任」を求めようとする全ての言説に反対します。
http://mubou.seesaa.net/article/460211645.html

 前提として、しんざきさんの意見に同調できることは少ないのですが、人生経験や知識・見識の差を考えれば、しんざきさんの方が、私などより正しい意見をお持ちなのだろうと考えています。

 ただ、それはそれとして、私なりに思うところがないこともないので、以下はその感想文ということで……。
 基本的にはTwitterで述べた所感の整理です。

※※※ここから※※※

 しんざきさんとは大体意見が合わないが、それはそれとして被害者が加害者をいじめていた、という認識があるのだとすれば、それは誤解であることは間違いない。

>これがいじめだという人は、「荒らしは通報するな、通報したとしてもそれを周囲と共有するな、それはいじめだ」と言っているのでしょうか?正直意味が分かりません。

 私の見方では、「荒らしは通報するな」ではなくて「キチガイに触れるな」という方が正しい。明らかに「触れたらまずい」とわかる相手に触れたと喧伝したのは、対象の反応を考えれば悪手であると思う(その行為が正当であったとしても)。

 ただ、手足を動かすこと、唇を動かすことが、意図せずして「いじめ」という状況を作り上げてしまうほど、影響力のある人間というのはいる。ネットの名義を使って講演会を開くほどそれに自覚的だったのであれば、自らの行動に対してもう少し思慮を持つべきだっただろう。

>これで殺されるなら、あなたが殺されていたかも知れませんし、私が殺されていたかも知れません。

 これはその通りで、ネット上のどんな発言も、殺意の対象に成り得るという事が判明した事件なのだと思う。
 「ネットは自由だ」という幻想は完全に死に絶え、自由である代わりに、それ以上に過剰に責任を問われる世界であり、「表現すること」は「異常者に目をつけられること」という高いリスクを持つことだという事が浮き彫りになった、特定の層にはまったく受け入れがたい事件であるのだろう。

 被害者に問題や責任を持たせるというよりは、何をすることも自己責任であり、(比喩ではなく)殺される覚悟すら必要だ、という話なのかもしれない。そんな世界は間違っているとか、受け入れ難いという話ではなく、「実のところ、そういう世界だった」という事が判明しただけで、その事実は動かしようがない。であるなら、意識を変革させなければならないのは常に人の方である。

※※※ここまで※※※

※補足(今回の事件は天災や交通事故の類だ、という意見に対して)※

 交通事故だというのなら、交通ルールを100%守っていたと胸を張れるように生きろって言ってるのよな。「信号無視してました」とか「周囲をよく見ないで横断歩道渡ろうとしました」みたいな人間が「これは交通事故! 萎縮すれば移動の自由が失われる!」って言ったって説得力ないでしょってこと。

 ネットウォッチという行為自体がどうこうってわけじゃない。後ろ暗いイメージの言葉だが、観察する対象によって周囲に与える所感が変化する行為だからね。

※※※補足おわり※※※

 冒頭にも書いた通り、私はしんざきさんの意見に同調できないことの方が多いです。だからといって、その考えを改めさせたいとは少しも思いませんし、私自身の意見が変わることもありません。
 思うに、現代のネットでは一定の「無関心」(敢えて、寛容さ、とは表現しません)が必要なのでしょう。

『そういう意見もある、でも私はこう思うし、それは変わらない』

 現代、特にネットをまっとうに利用する層からは、実のところ「致命的に間違った理屈」は出てこないのではないかな、と考えています。だから、どちらが正しい、どちらが間違っている、ということはなく、「誰もが正しい」状態なことが多いのではないでしょうか?(自己正当化に聞こえるので何ともおさまりが悪いですが……)。

 インターネットという、他人との距離を推し量り辛い世界が日常になっている現代では、自己の基盤となる思想を構築しながら、他人に対してはある程度の無関心でいることが、今までより更に求められているのかもしれません。

以上。

古戦場のマルチはどうすべきかとか

 古戦場が属性耐性を導入してから1年近く経ち、どんなプレイヤーでも、そろそろ各属性がきちんと育って来たころだと思います。
 これまではあまり触れてきませんでしたが、「95HLソロ可能だが、ソロするべきか、マルチすべきか」に迷っている方も複数見られましたので、改めて、「古戦場の時速」について触れたいと思います。

 基本的に、古戦場は「その時のもっともLvが高いHLをソロできる人数がどれだけいるか」で勝敗が決まります。
 計算を簡単にするためにごくごく単純な設定でお話しますが、例えば、HL90ソロ6分(マルチ時間で1:22〜3くらい)、HL95ソロ不可の4人がいたとします。HL90の貢献は25万、HL95の貢献は90万とします。

 この4人が1つの95に参戦すると、6分で倒せるとします。この場合、HL90ソロ*4とHL95*1では、HL90ソロ*4の方が時速が早くなります(1000万vs900万)。

 次に、上記の2人が参戦すれば、HL95を10分で倒せるとするならどうでしょうか。2・2で綺麗にわかれた場合、10分で180万=時速1080万で、こちらの方が若干時速が上になります。

 しかし、実際には自発タイミングのずれによる参戦の偏りや、自発待ち・同時自発などによって理想通りにいくことは難しいため、あまり現実的ではありません。

 では、上記の4人が、HL95ソロ12分が可能な場合はどうでしょうか。

 各自がHL95ソロの場合、時速は360万*5=1800万なので、もっとも効率がよくなります(ただし、12分かかるものをソロで処理し続けるのは結構苦痛ですが)。

 問題は、HL95ソロを多人数で分担すべきかどうか? という部分です。

 個人的な所見ですが、HL95ソロ12分かかるプレイヤーが2人参加した場合、6分になるかといわれると、そうはならないと思います。大体、8〜10分前後になる程度ではないでしょうか? 

 ここでは8分になると仮定しますが、その場合は約180万*8=約1440万で、ソロ*4の方が時速が早いことになります。

 最後に、95HLソロ10分が可能な人が1人、90HLソロ8分、95HLソロ不可が3人な場合はどうでしょうか? 後者の3人が95HLに参加した場合、10分程度で倒せると仮定します。また、全員でひとつのマルチに参戦した場合、6分で倒せると仮定します。

 この場合、

95HLソロ+95HL3人の場合は、時速1440万
95HLソロ+90HLソロ*3の場合は、時速約1140万
95HL全員参加の場合は、時速900万

 となります。

 ここからわかることは、「95HLソロできる人は、よっぽど遅くない限り(20分かかるとか)ソロした方がいい」ということです。

 また、上記の仮定はあくまで「マルチの参戦が理想的に行われた場合」であり、団内でのマルチグループ決め、自発巡の決定、グループ内での時間帯合わせなどが必須となります。
 こうした打ち合わせが行われていない場合、基本は「各自でできるHLソロをこなしていく」ことが、もっとも安定し、かつ早めの時速を実現することになります。

 今までは、特にこうしたことに触れてこなかったので、マルチを並べてもらって五月雨式に倒していく方式を取っていましたが、今後は基本的にHLソロできるかどうかで時速を算出し、対戦相手と比較して撤退か継続かを決めていきたいと思います。

人が死ぬということと、人の生き方について

 最初に。
 今回は、私自身の人生観と、死生観の話です。
 私の半生において、身近な親族の4つの「死」と触れ合ったということ、それについてこう感じたという、辛気臭いエピソードしかありません。本来は、これに続くエピソードを書こうと思っていたのですが、あまりに長くなったためです。
 特に、盛り上がったり、話が落ちたりすることはありません。
 
 閑話休題
 
 さて。
 私もいよいよ三十代も半ばになりまして、将来の身の振り方や、親の介護等、人生において生じていくであろう問題について、色々と思いを馳せる年頃に差し掛かってまいりました。私自身の半生を振り返ってみますと、平々凡々な家庭に生まれながらも、まぁ大分、恵まれた人生を送っているのではないかと思います。
 そうした恵まれた平々凡々な人生の中にも、いくつか、人生観に影響を与えるターニングポイントというものは存在します。私にとっては、そのひとつが「人の死」ではないかなと、こうして振り返ってみると思うわけです。
 
 さて、私が最初に身近な人間の死に触れたのは、父親でした。
 この父親というのは、私がいくつだったか、一桁か、二桁の年齢になる前くらいに母親と別居状態になり、それからいつだかに一度会ったきり、二度と会うことはありませんでした。母親がいうには、見栄っ張りな男で、金も持っていないのにやたらとまわりには気前がいい男だったそうです。当時のことを考えると、ここには書くことを憚られるようなエピソードもあり、本当に金がなかったのだと思います。しかし、今になると、確かに私もその血を引いているなと感じる次第です。

 さて、この父親は、確か私が小学校の低学年だったころ、会社をやめて事業を起こそうという話で騙され(単純に失敗しただけだと思いますが)、当時住んでいた一軒家を売る羽目になりました。その後、マンションに引っ越して数年、その後もなんだかんだとあり、父親とは別居することになりました。それから一度だか会った覚えがありますが、十数年、音沙汰がありませんでした。
 次に話を聞いたのは、私が大学を卒業する年のこと。女を作って二児を儲けていた(らしい)父親は、茨城だか群馬だか忘れましたが、そこら辺の工場で働いていたそうです。そこで、不摂生でも祟ったのか、脳梗塞になって倒れ、病院をたらい回しにされた挙句、仙台へと戻ってきました。
 現地の女が身元を引き受けなかったのでしょう、身寄りのない父親の入院費を払ってほしいと、まだ籍を抜いていなかった母親のもとに連絡がきたそうです。母親は、父親のことを嫌っていたのですが、それでも人情のある人だったので、入院費を建て替えてやり、何度も見舞いにもいったそうです。私はといえば、「見舞いにいくか?」と聞かれましたが、「いかない」と答えたきりで、母親もそれに関しては、それ以上、何かいうことはありませんでした。

 さて、その事件を機に、母親は父親と離婚する決意を固めました。冬の寒い日、私も家庭裁判所に趣き、どちらの籍に入るかという手続きをとったのを覚えています。
 元から、父親からは離婚届が送られてきており、相手の女からも「さっさと別れてくれ」と何度も電話を受けていたそうで、母親は確か、「自分は薄情なのかもしれない」という葛藤があったと言っていたように思いますが、私は別に薄情だとか、そういったことは思いませんでした。元から薄皮一枚でしかつながっていなかった縁を、ここで正式に断ち切ったという、ただそれだけのことです。

 ある日、母親が見舞いに行くと、病室に父親はいませんでした。話を聞いたところ、退院していったということだそうです。入院代を建て替えてもらった挙句、見舞いにまできてもらった相手に、退院日も伝えずにいなくなるとは、本当に情もなさすぎて笑ってしまいますが、まぁ、そういう人なのでしょう。
 母親はというと、内心はショックだったのかどうなのか、見た目からは推し量ることができませんでしたが、「もういなかった」ということだけを告げたきり、そのことについてはもう触れませんでした。

 その後、私は就職し、群馬県で働いていました。
 5月頃、母親から急な連絡があり、「そちらに行くから」という話がありました。急にどうしたのかと聞くと、行方をくらました父親は脳梗塞の後遺症を抱えながらもどこぞの工場で働いていたそうなのですが、結局、そこで倒れて亡くなった、その件で行く、ということでした。
 母は、仙台市から送られてきた、遺産相続に関するはがきを持ってきました。私は、父親がどんな資産を持っていたのかは知りませんし、興味もありませんでしたので、遠慮なく「相続を放棄する」と書きました。どう考えても資産など持っていなかったでしょうし、変に欲を出して、父親の抱えていたかもしれない借金を私が抱えるはめになってはかなわないと考えたからです。

 これで、父親に関するエピソードは終わりです。
 その後、父がどこに葬られたのか、現地の女とその二人の子供(姉妹らしい)がどうなったのかもわかりません。ただ、母親がいうには、「あんたが子供を作ればそれでよかったんだが、できなさそうだし、もしあんたが死ぬときは、資産を全てどこかに寄付してからにしろ。そうでないと、遺産が見ず知らずの異母姉妹に行くことになる、それは業腹だ」ということです。
 
 さて、私の死生観にもっとも影響を与えなかった父親の話が大分長くなりました。
 次からは、少し手短にしていきたいと思います。
 
 次に私の周囲で亡くなったのは、母方の祖父でした。
 私は小さい頃、両親が共働きだったため、昼間は祖母の家に預けられておりました。そのため、祖母や祖父、伯父が、私にとって「家族の団らん」だったといえる部分もあります。
 この祖父の死は、特にこれといったエピソードはありませんでした。確か、九十二だったか、三だったか、そのくらいの年齢まで生き、年相応に入院し、危篤になり、亡くなりました。祖母の家の中では、順当に大往生した、といえるのではないかと思います。
 
 母親が、週末ごとに祖父の見舞いにいくので、車を持っていた私も、何回か足となって病院に通いました。私は、祖母宅ではとても可愛がられておりましたので、私がいくと、祖父も心なしか嬉しそうな表情を見せていたように思います。

 祖父の見舞いに通う中で、もっとも印象深いのは、次のような場面です。
 その日も、祖父は病院のベッドで寝ておりました。その頃には、もうずいぶんと痩せており、腕には点滴かなにかの管が、何本もついておりました。声をかけると、祖父は元々意識があったのか、すぐに目を覚まし、私を確認すると、「おお、お前か」と声をかけてくれました。そのとき、祖父は点滴の管が繋がれた腕を、それとはなしに布団の中に隠そうとしたのです。

 私がそのことを母にいうと、「おじいちゃんは、あんたに(腕を)見られたくなかったんだよ」と言いました。私は、そこで価値観を改めることになりました。病床にいる老人が、相応の治療を受けていることについて、私たちは特に何も思わないかもしれません。しかし、それを受けている側は、それを恥とか、見苦しいと思うこともあるのです。
 これは何も、祖父だけの話に限りません。他人から見ればまったく何でもないようなことに対して、非常にコンプレックスを抱えている人は、世の中にはたくさんいます。そう感じる相手に対して、私たちができるのは、「それは恥ずかしくないことだ」と声をかけることではなく、見ないふりをする、なんでもないように接することだなと、私はこのときに感じました。

 祖父が亡くなったのは、東日本大震災の直後でした。元から、意識も朦朧としていた状態でしたが、震災で特に被害を受けたわけでもないのに急逝し、震災自体が、余命のないものをまとめて刈り取っていったのだと思ったことを覚えています。

 次に亡くなったのは、伯父でした。
 これは、私にとっては大変ショックな出来事でした。伯父は、私にとっては父親代わりのような人だったからです。
 伯父が亡くなる当日、私と母は、祖母の家に顔を見せにいっていました。というのも、祖父が亡くなってからほとんど間もない時期で、まだ色々と用事があったからです。祖母の家は、築何十年かわからないような長屋で、正直いって、あまりいい環境とは言えませんでした。その中で、老人ふたりの面倒を見ていた伯父の心境は、いかばかりだったでしょうか。伯父は、「あまり、家に帰りたくない」と周囲に漏らしていたそうで、老々介護という現実が、伯父に大きな負担を強いていたことは想像に難くありません。

 さて、祖母宅を後にした私と母親は、その日、回転寿司を食べて帰りました。
 家に帰宅してから数時間後の、確か21時頃、母から急な電話がありました。
 
「伯父さんが倒れて病院に運ばれたらしい。あんたも来て」
 
 実のところ、伯父はこの少し前にも、内蔵を悪くして倒れ、入院していました。その時は、さほど深刻でなかった(ように見えた)ものですから、正直なところ、この時の私は、「また倒れたの、面倒だな」と思ったことを覚えています。しかし、倒れた、きてくれと言われれば、断るわけにもいきません。私は、身支度を整え、軽い気持ちで病院に向かいました。
 夜の病院は暗く、不気味でしたが、心電図の音は正確に聞こえてきており、私は特に根拠もなく、「大丈夫だ、助かるだろう」という気持ちで、取り乱す母親をなだめ、病室の外でしばらく待っていました。しかし、いくら待てども病室に招き入れられることはなく、何十分か、何時間経過した頃、ようやく医者が姿を見せました。そして、「残念ながら、もう助かる見込みはありません」と告げました。
「どうせ助かるだろう」と思っていた私は、上手く反応できませんでした。通された病室には、まだ脈のある伯父が横たわっていました。母は、伯父のことを「あそこがダメだ、ここがダメだ」とよくいっていたのですが、内心ではとても頼りにしていたので、手を握り、涙ながらに声をかけました。
 私はというと、伯父の手を上手く握ることもできず、声をかけることにもよくわからない抵抗があり、微かに呼びかけるくらいしかできませんでした。このことは、今でも、私の中に大きな後悔として残っています。

 それからほどなくして、伯父は亡くなりました。

 私の中には、いくつもの後悔が残りました。伯父が救急車で運ばれたことを聞いた際に、「面倒だ」と思ってしまったこと。よくわからない抵抗から、きちんと声をかけてあげられなかったこと。亡くなった当日に伯父に会っていた時、一緒に食事でもどうかと声をかけていたなら、この死は避けられたのではないかということ。

 さまざまな後悔も、しかし、時間を巻き戻して「なかったこと」にすることはできません。だからこそ、私は、人と人との関係においては面倒がらず、変に格好をつけず、我慢をしてわだかまりを残すようなことはしない、常に後悔しないような選択をしなければならないと、このときに感じました。

 私も母も、この件のあと、しばらく塞ぎ込むことになりました。私は、仕事をしている間も、葬式の最中も涙が止まらず、しばらく「死」というものに対して極端に恐怖に怯えるようになりました。伯父の死は本当に突然だったもので、自分もいつ、死んでしまうかわからないと怯え、それがパニック障害に繋がる結果になりました。
 母は気持ちが完全に塞ぎ、無気力状態になってしまいました。それでも、なんとか毎日仕事にはいっていましたが、休日などは部屋の掃除もせずに丸一日ぼーっとしてすごしていたようです。母は、毎週、墓参りにいくようになりました。私も、それに付き合って何度も墓に足を運びました。数ヶ月もした頃には、私の中ではようやく整理がついてきたのですが、母の中ではまだ気持ちの整理がつかなかったようで、毎週の墓参りは1年近く続きました。墓参りとは、死んだ人のためではなく、生きている人間の気持ちの整理をするために行うものなのだということ、その必要性を、このときようやく理解しました。

 最後に亡くなったのは、祖母です。
 伯父がいなくなってしまったので、祖母は、叔母の家に引き取られました。それから数年、叔母の家で生活していました。私も、墓参りのたびに叔母の家を訪れました。祖母は、祖父と伯父を立て続けに亡くし、しばらくふさぎ込んでいましたが、元来、精神の太い人でしたので、やがて普通に振る舞うようになりました。それでも、伯父のことを話すときには声を震わせていたので、親より先に死ぬということは、本当に親不孝なことだなと、祖母を見ていて感じました。

 さて、祖母は以前、脳梗塞を起こして入院したことがあるのですが、その際に、「今までにも何度か脳梗塞を起こしている」と診断されるなど、やたらと身体が頑丈な人でした。それでも、寄る年波には勝てず、体調が悪くなり、入院することになりました。検査の結果、祖母は大腸がんだということが判明しました。
 この知らせは私たちにとってもショックなものでした。しかし実際のところ、高齢の大腸がんは進行が極端に遅く、大腸がんとは別に、祖母は腸から謎の出血が止まらない状態だったため、がんではなく、あと2〜3年の間に、失血の方で亡くなるだろう、という診断でした。治療の施しようもないので、祖母は退院することになりました。
 入院した祖母は、自分の余命がいよいよだと思い込み、すっかり弱ってしまっていました。「この病院から、もう出られないだろう」と悲観的になり、ずいぶん元気をなくしてしまっていました。しかし、退院が決まったことを告げると目に見えて元気になり、笑顔も浮かべるようになりました。
 
 祖母が退院してから数日後、私は本を買いました。
 祖母は池波正太郎の本が好きだったのですが、あまり蔵書がなかったため、叔母が図書館に借りにいったりしていました。そこで、私は池波正太郎の時代小説を2冊買い、母に届けてもらいました。本当は自分で持っていって顔を見せた方が、祖母が喜ぶことはわかっていたのですが、その時期は仕事が忙しかったこと、余命2〜3年ならば、すぐにまた顔を見せる機会もあるだろうと思っていたのです。
 しかし、それからほどなくして、祖母は亡くなりました。死因は、大腸がんでも失血死でもなく、心臓でした。祖母はほぼ寝たきりだったため、血栓ができていたのでしょう。その血栓が原因で、「気持ち悪い」といったまま意識不明になり、そのまま亡くなってしまいました。私は、伯父のときの後悔をいかすことができず、また後悔をすることになりました。
 あとから聞いたところによると、祖母は私が贈った本を、何度も何度も繰り返し読んでいたそうです。それを聞き、ああ、退院してから一度くらい、顔を見せておくべきだったなという想いが強まり、今でもうっすらと涙が浮かんでしまいます。

 これらの4つの「死」にまつわるエピソードは、私の死生観、人生観に、大きな爪痕を残しました。
 決して後悔しないよう、自分に正直に生きること。他人に対して、正直に、真摯に接すること。面倒だと思う気持ちを捨て、相手を慮り、恥や外聞を気にせずに、声をあげるときは声をあげ、心配するときは心配し、時に怒り、悲しみ、喜び、楽しむこと。そうした人生において「素直」に生きることが、取り返しのつかない後悔を産まない生き方なのだ、そういう風に生きるべきなのだと、今の私は考えている次第です。

 本来であれば、こうしたエピソードを詳細にネットに書くことは、憚られることなのかもしれません。
 実際のところ、私も、何度も書こうと思い、そのたびに手を止めてきました。何か、死者に対する冒涜に繋がるような、そういう気持ちがあったからです。しかし、いずれ私の記憶も曖昧になり、その時の気持ちも消えていってしまうのだろうと思うと、こうして書き残しておくことで、その時の気持ちや、その人のことを忘れずにいられるのではないかと思い、こうして筆を執りました。
 
 特に何の面白みもない私の記録ではありますが、もしも、誰かが何かを考える切っ掛けになれば幸いです。

ガチャ論・後編

 さて、ガチャ論後編である。
 前編はこちら。

ガチャ論 - 「君、影薄いね」と貴方は言った

 

 前編は実践的な方面での話になったので、後編は「精神的な面でのガチャとの接し方」に触れていきたいと思う。

 

■『人生観』を構築するガチャ
 ガチャとは、人生そのものである。

 人はガチャを回す前、その結果に夢と希望を抱く。しかし、回したあとには、極少数の成功したものと、多くの夢破れたものしか、そこにはいない。

 人生は期待したとおりにならず、いくら努力したとしても、望んだ結果を得られることは稀である。

 ガチャは、そうした人生の無常を教えてくれる。

 

 ただ漫然と流され、人生の岐路で曖昧な決断を下した人間に、それを後悔する資格があるだろうか?

 同様に、ガチャをその場の衝動で回すことを決めた人間が、結果を見てから「回さなければ良かった」と後悔する資格があるだろうか?
 

 だからこそ、ガチャを回すときには計画を立て、備えなければならない。

 そして、望んだ結果を得られなかったとしても、「そういうこともある」と、その結果を受け入れる心構えをしておかなければならない。
 
 しかし、何事にも例外はある。

 それは、””の力である。

 ””を持っているやつが”強い”。ガチャは、そうした人生においてもっとも大切なことも教えてくれる。

 

■精神修養としてのガチャ

 ガチャにつきものなのが、「ガチャを引きたいという衝動」と、「他人のガチャ結果を羨む心」である。
 

 前者について、この衝動は抗い難く、定期的に襲ってくる。まさに麻薬のようなものである。

 恐らく、イエス・キリストブッダといった聖人も、当時ガチャがあったなら、悟りを開くのが10年は遅れたであろうことは想像に難くない。

 しかし、何回も触れているとおり、このような刹那的な衝動に身を任せていては、本当に望む結果は得られない。

 この衝動を飼いならすことが、ガチャと付き合う上では必須となってくる。

 

 後者について、これもまた、ガチャと付き合う以上、避けては通れない感情である。

 しかし、当然だが、いくら羨んだところで望んだものが手に入るわけではない。

 人は皆、孤独である。

 他人は他人、自分は自分と、ドライに割り切る考え方を養っていかなければならない。

 他人を羨み、身の丈を超えて行動するものに待つのが破滅であるのは、ガチャも人生も同じである。

 

 思い返せば子供の頃、友達の持っているおもちゃやゲームを羨んで親にねだった時、こう言われたことはないだろうか?

 

「よそはよそ、うちはうち」

 

 当時は、「体よく断るためにそれっぽいことを言いやがって」と思ったものであるが、今こうして考えてみると、まさしくそれは真理である。

 親は偉大であるということも、ガチャは教えてくれる。

 

■自己満足を得るためのガチャ

 ガチャには、様々な癖がある。

 これは、より深くいえば、「ソーシャルゲーム」というゲーム自体に、いわゆる「意図しない裏技」のような挙動がある場合がある、ということである。

 

 私がこれを知ったのは、今はもうスマホゲーとしては終了してしまった「拡散性ミリオンアーサー」というゲームをプレイしているときのことだ。

 拡散性ミリオンアーサー(以降、拡散性MA)は、異様にテーブル設定がガバガバで、数々の「検証」が容易に行えるゲームであった。

 

 例えば、拡散性MAのメインコンテンツは、「強敵」と呼ばれる敵をマルチバトルで倒すことだ。

 強敵を倒すと目玉カードや、スタミナ回復アイテムなどがドロップする。自分が発見した強敵を倒すとレベルが1ずつあがっていき、段々強くなっていく仕様だった。

 拡散性MAは、その強敵が落とすアイテムのドロップテーブルが「自分の強敵レベル」で固定されているらしく、特定のレベル帯に固定したまま他人の救援に入ることで、高確率でスタミナ回復アイテムや目玉カードをドロップさせることができた

 

 また、強敵に出会うためにはとにかくマップを歩き回らなければならないのだが、普通にやっていてはスタミナを全て使っても強敵に合うことが難しかった。

 しかし、マップに入ってから約3秒で進むボタン(というか、画面をタッチすれば進んだような気がするが)を押した場合、高確率で強敵に遭遇するという仕様になっており、これを知っているのと知らないのとでは、イベントで消費する回復アイテムの数がまったく違った。

 

 更に、歩きまわっているとランダムでスタミナが回復したりする仕様だったのだが、これも強敵と同様に特定タイミングでボタンを押すと高確率で狙うことができたため、回復アイテムを使わずともスタミナを全回復させることすら容易だった。

 

 ガチャも同様で、SSRは特定の時間帯にしか出現しない、という検証結果が、有志たちにより導き出されていた。

 後に、拡散性MAと全く同じシステムを採用したTKSSIS(伏せ字)というゲームにおいて、ガチャにフィーバータイムがあることが確認されており、恐らくこうしたシステムを応用したものだと考えられる。

 

 また、某ゲームではかつて、ガチャを引く際に「正確な時計を用意しろ」という格言が存在しており、これもまた、高確率で高レアカードを引くための方策であった(これは、今では対策を取られてしまって不可能である)。

 

 このように、人間が作るものである以上、「何がしかの偏り」や「穴」というものが存在することがある。

 こうした偏りを発見し、仮説の組み立て>実地検証>成果>結論という流れを楽しむことが、ガチャは可能なのである。

 

 ただし、注意しなくてはならないのが、こうした検証結果は、どこまでいっても「オカルト」であるということである。

 ガチャの仕組みが正確に解明されていない以上、どんな説であろうと「オカルト」でしかない。

 オカルトをさも「絶対にこれが正解」と主張したり、「知らないほうがおかしい」というような言い方をするのは間違っている。そのことには十分留意したい。

 

 しかし、冷静になって振り返ってみると、本当に楽しみなのだろうか?

 まさに自己満足としか言いようがないが、そういう楽しみ方もあるという一例として挙げておく。

 

■最後に
 ガチャとは、コミュニケーションのツールに成り得る手段である。

 しかし、その本質は「孤独」である。

 ガチャを回す決断をしたのは己自身であり、その結果と向き合うのもまた、常に己独りである。
 
 もちろん、これはガチャという娯楽に接する上での心構えのひとつだ。

 それぞれに、ガチャに対する独自のスタンスがあるだろう。

 それを構築する際に、この文章が賢明なる諸氏の一助となれば幸いである。

ガチャ論・前編

■序文
 近年では、いわゆる「ソーシャルゲーム」と呼ばれる分野のゲームも一定の立場を得てきた。かつては蛇蝎のごとく嫌われてきた「ガチャ」という集金システムにも、さほど抵抗感を示さない人間が増えてきたように見受けられる。

 

 ガチャに娯楽性があるのは確かである。しかし、その娯楽性は、ただ単純に享受してよいものではないと私は考える。

 

 私はここで、「ガチャ」という娯楽のいろいろな側面に着目しつつ、各自が「どういう立場でガチャに接するべきか?」を考える手助けになるものを提示したいと考え、筆をとる次第である。

 

■コミュニケーションとしてのガチャ

 ソーシャルゲームの隆盛はめざましく、現代のオタクシーンにおいては、人気のソーシャルゲームは、欠かせない話題のひとつになっている。かつてのドラマや歌謡曲が担っていた「共通の話題」という役割を、現代ではソーシャルゲームが担っているのであろう。

 

 その中で、おそらく最も普遍的に、万人が盛り上がれる話題が「ガチャ」である。なぜなら、シナリオやシステムに関しての感じ方は人それぞれだが、ガチャは「金銭を投入して、結果が返ってくる」という単純な仕組みであり、そこに各自の感想が入り込む余地が少ないからである。「飲み会の席で、同時にガチャを回す」などのコミュニケーションも、近年では散見されることが多くなってきた。

 

 こうしたコミュニケーションは一概に否定できるものではない。「ガチャ」という娯楽がエンターテイメント性を内包していることは事実であり、場の盛り上げに一役買うことがあることも、また事実である。

 

 振り返って考えてみれば、「酒の席を盛り上げる行為」というのは、いつの時代も必要とされてきた。それは、例えば「かくし芸」であったり、「一気飲みコール」といったものである。しかし、そう考えた時、「ガチャ」という盛り上がりの手段は、コストパフォーマンスが極端に悪いということには、十分注意しなくてはならない。

 

 また、「かくし芸」や「一気飲みコール」という文化は、現代では多くの人間が「悪い文化」だと考えていることにも、留意が必要である。

 例えば、「アルコール・ハラスメント」という言葉がある。これは、飲酒の強要などを含む迷惑行為の総称だ。たとえ場を盛り上げるためであったとしても、本人の意思にそぐわない行為の強制は、ハラスメント(いやがらせ・いじめ)なのである。

 

 当然ながら、これは飲み会の席でのガチャにも当てはまる。気が進まない相手に対し、ガチャを回させることを半ば強要するのは「ガチャハラスメント」であり、迷惑行為だという認識は、広く持たれなければならない。

 

 同時に、気が進まない側も、その場の雰囲気に流されず、きちんと断る勇気をもたなければならない。なぜなら、「ガチャを回す」と決断した以上は、それは自己責任になるからである。心の何処かで「回してもいいか」と考えているならばともかく、本当に気が進まないのであれば、きちんと断るべきである。

 

 そのコミュニティの中で、「ガチャを回すことを断っても構わない」というコンセンサスをとっていくことが、良好な関係を構築していく上で重要になってくるだろう。

 

■「計画性を養う練習」としてのガチャ
 ガチャは、一般的には「射幸性を煽るもの」と認知されている。確かに、ガチャは「出るか、出ないか」の2つしか結論がなく、少額で目的のものを手に入れる者もいれば、大金を投じても手に入れられない者もいる。少額で目的のものを手に入れられた者は、その快感が忘れられず、ふとした瞬間に「ガチャを回したい」という衝動に襲われることになる。

 

 しかし、ガチャが単純に「射幸性を煽るもの」だったのは、過去の話である。現代のガチャは、「計画性を養うもの」へと変化した。
 これを変化させたのは、「詫び石」と「天井」の概念である。
 
「詫び石」とは、定期的に配布されるゲーム内通貨のことである。
 現代のソーシャルゲームでは、何らかのクエストを初回にクリアした際や、緊急メンテナンスが行われた際、あるいは、リリース○周年などの記念日に、ゲーム内で金銭の代わりに使用できるゲーム内通貨を配布するのが一般的である。ここでは、それらを総称して「詫び石」と呼ぶ。
 
「天井」とは、「その設定された回数ぶん、ガチャ回せば、必ず目的の物が手に入る」と定められた回数のことを呼ぶ。

 今もっとも「天井」という言葉が使われているであろうグランブルーファンタジーにおいては、天井は300回、9万円分に設定されている。
 9万円はかなりの大金である。いくら目的のものを手に入れるためとはいえ、庶民が簡単に払える額ではない。

 

 では、どうするか?
 それは、「ゲームに対する投資計画」を立てるのである。

 

 一ヶ月間でもらえる詫び石の大体の数を計算し、目玉となるカードのリリース時期を予測し、その間までに詫び石がどれくらい貯まるかを計算する。詫び石の数が天井まで届かない場合、その差額をどう捻出するか? を考え、現実の予定を計画していく。それが、ソーシャルゲームで出費を抑えるためのテクニックだ。

 

 では、詫び石が少なく、天井が設定されていないゲームをプレイしている場合はどうするか? それは、「そんなゲームは今すぐやめる」が正解であろう。

 

 ここで問題になってくるのは、先に触れたような「衝動」である。
「ガチャを引きたい」という欲求は、厄介なことに非常に強いものである。しかし、それに抗えないほどではないというのが、個人的な感想だ。

 ガチャ欲とは、瞬間的な欲求である。そのため、それを押さえ込む手段を用意しておく(例えば、「軽く運動をする」「寝る」など)ことが、ガチャ欲に抵抗するためには必要になってくる。また、事前に計画を立てておくも、衝動的なガチャ欲を押さえ込むのに有効である。

 

 重ねていうが、ガチャはコストパフォーマンスの悪い娯楽である。
 そのため、無秩序なガチャは生活に打撃を与え、QoLを著しく下げる危険性を孕んでいる。

 そのことをしっかり受け止め、無秩序なガチャではなく、計画的な投資を行うことが、ソシャゲをプレイする上では求められる。
 

後編に続く

ガチャ論・後編 - 「君、影薄いね」と貴方は言った

【グラブル】2018年の干支キャラ属性を考える

 めっちゃ雑談なんで別に読む価値はないんですけど、ちょっと聞いてくださいよ。
 タイトル通りなんですけども、来年の干支キャラは普通に考えれば「水」なんですよ。
 水の十二支。もう、ぶっちゃけその時点でエロいじゃないですか。

 ただ、ここでちょっと考えたいことがあって。
 2017年、グラブルは年間を通じて水属性を推しまくったことは誰の目にも明白だと思うんですけど、「じゃあどれくらい推してたの?」っていうと、めちゃくちゃ追加SSRキャラが多いことからも察せられるわけですよ。
 かなり大雑把に拾ったので間違っているかもしれませんが、2017年の追加SSRキャラは土、光、火、風が3キャラで同率、闇が5キャラで、水はぶっちぎりの7キャラ追加されているんですよ。しかも、追加されたキャラも

3月キャタピラ
4月ヴェイン、ドランク
7月水イシュ
8月ディアンサ
9月アン
10月ユエル

 と、半分以上が一線級のキャラ。ヤバい。普通に考えたらこんなに偏らせない。小学生でもわかる。でも、グラブルくんはバシバシキャラを追加してくるわけですよ。お水おいしい? おいしー!
 これで2018年一発目の干支キャラも水だったら、これは大変なことじゃないですか? 
 2017年も水でいっちゃうの? 水ンブルーファンタジーなの? 
 もう水ンブルーファンタジーだから、マリンブルーファンタジーくらいになっちゃいますよ。

 そう考えると、もしかしたら水キャラじゃないかもしれない。そういう可能性に賭けていきたいのが我々なわけですよ(?)。

 もし水じゃないとしたら、可能性があるのはシュヴァ剣のおかげで冷遇され続けてきた光が有力候補かなと。
 闇は多分、オリヴィエと、擬人化グラシーザーが控えてるので無いと思うし、同じ冷遇属性の風もアンチラがいるので無いでしょう。
 そうすると、消去法で光という可能性が高いのではないでしょうか!? ソーンがいるからダメか!?

 また、性別に関しても、普通に考えれば美少女だと思うんですが、最近のグラブル君は女性寄りに大幅に寄せてきているので、女性向け十二支という可能性も否定出来ないわけですよ。しかし、男性向け需要も切り捨てるわけにはいきませんから、間をとってショタという可能性も……ないか!? どう!?
 
 去年も、この時期はこんな感じのことを考えていたんですが、まさか1年後もグラブルで同じようなことを考えているとは思いませんでした。なんだかんだと言われながらも、ソシャゲの華といえばガチャ。予想をいい意味で裏切るようなキャラ追加を期待しています。

【好き瞬感想】ただ一度だけ、再び力を振り絞って、『美しきもの』を紡ぎたいだけなんだ

 大人気ブログ『蕎麦屋』に、「好きになるその瞬間を。」の感想エントリが投稿されました。

tororosoba.hatenablog.com

 

 正直に言うと、このエントリに書かれていることの大半に同意できてしまい、私として、これ以上言うことはないような状態です。

 それでも、「前回のような勢いだけではなく、感情を整理し、自分の言葉で感想を言いたい」という漠然とした想いが消えなかったので、改めて、このエントリで感想……というよりは、「何を感じ、何を想ったのか」を言葉にしておきたいと思います。

 

■前作「ずっと前から好きでした。」

 前作、「ずっと前から好きでした。」は、お世辞にも「面白い映画」ではありませんでした。しかし今考えれば、前作の作りは、私のような「本来のターゲットではない層」を、この夏の青空のように澄んだ世界へ連れ出すための入り口としては、正解だったのかもしれません。

 少なくとも、前作で衝撃を受け、破壊された価値観のおかげで、より深く「好きになるその瞬間を。」を楽しめているのは確かだからです。

 

「この映画を見にいく時は、『好きな人に会いに行く気持ち』になって行こう」

「この映画に、『恋』をしよう」

 

 そういう気持ちを持って視聴に臨めたのは、間違いなく前作のおかげです。そういう意味では、「ずっと前から好きでした。」を見てからのほうが、「好きになるその瞬間を。」を、より楽しめるかもしれません。

 

■今作「好きになるその瞬間を。」

 今作、「好きになるその瞬間を。」は、前作に比べれば、ずっと面白い映画です。それは恐らく、前作が青春群像劇だったのに対して、今作はあくまで「瀬戸口雛」をメインに据え、その恋心を描いた作品だからでしょう。

 瀬戸口雛は、時に笑い、時に悩み、時に涙を流し、60分の中でさまざまな表情を見せてくれます。そんな瀬戸口雛というキャラクターは、純粋に可愛らしく、大体の視聴者は、彼女に好意を抱くことでしょう。そして、彼女の恋に悩む姿を、我々は心から応援したくなり、その恋の経緯・結末から、我々は「輝き」を受け取るのです。

 

■受け取った「輝き」と、「貴いもの」に突き動かされて

 何をこの映画から受け取るかは、人によってさまざまだと思います。例えば、憧憬を受け取る人もいるでしょう。過去の出来事に想いを馳せ、少しの寂しさを受け取る人もいるでしょう。ですが、人によって受け取るものは違っても、その胸に宿るものは等しく同じ価値を持つと、私は信じて疑いません。

 すなわち、人はこの映画から「輝き」を受け取るのです。そして、その輝きは、胸のうちに埋もれていた「何か」を掘り起こし、それを再び輝かせるのです。その「何か」がどのようなものであれ、みな等しく「貴いもの」であろうということを、私は強く信じているのです。

 今、この映画を見た「本来のターゲットでない層」は、激しく動揺し、しかし、「この映画の良さ」を、それぞれの言葉・行動で表そうとしています。あるいは、曲を聞き込み、「瀬戸口雛」を始めとする登場人物たちの心境をなぞろうとしています。

 どういう行動を起こすかは人によってさまざまですが、その原理となっているのは、この映画から受け取った「輝き」と、再び輝いた胸の内の「貴いもの」であろうと、私は思うのです。

 

■爽やかな物語の見送りに苦しみは似合わない

 さて、私自身はどうだったかというと、この映画を見た直後は、「ふーん」というのが率直な感想でした。キャラクターは可愛かったけれど、話も前作と比べて面白かったけれど、ただ、そんなに深い話でもないな、と。

 けれど、映画を見終わって十分経ち、一時間経ち、一晩経つごとに、この映画に対して言いたいことが、考えたいことが溢れ、止まらなくなってしまったのです。

 それは、決して「楽しい」だけのものではありませんした。時に苦しく、時にもがくような、鬱屈とした考えが頭を支配した時もありました。しかし、OPである「センパイ。」とEDである「大嫌いだったはずだった。」を繰り返し聞くに連れて、次第にこう思うようになっていきました。

 すなわち、

 

「爽やかな青春の物語に、その終わりを見届けるのに、涙や苦しみは似合わない」

 

 きっと瀬戸口雛を筆頭にする登場人物たちにとっては、この物語は青春の一ページ。後から、その苦しさや悲しさを振り返った時、きっと「いい思い出」になる物語だったと、そう思うから。私もこの物語を、そういう風に見守ろう。

 そんな風に思えるようになりました。

 

■終わりに

「好きになるその瞬間を。」は、冷静に見れば、取るに足らない、キャラクターが可愛いだけの映画かもしれません。しかし、「恋をする」つもりでこの映画を見に行けば、きっと素敵な貴いものを――それは時に、自らの心を傷つけるような感情であったとしても――受け取ることができるはずです。

 2016年ももう終わりですが、ぜひ、スクリーンでこの映画を見て欲しい。そう思う映画でした。

 

 以上。