「君、影薄いね」と貴方は言った

ネットの片隅に生きるだらだらしたアラフォーブログ

俺はずっと前から好きでした。〜告白実行委員会〜を、すごいと思ったんだ。

(以下の文章は、ふぇーすぶっくで怒りに任せて書いた推敲0のものに、若干加筆したものです)

 ちょっとまじめな話をすると(これから言う事が伝わるかはわからないけど)、「ずっと前から好きでした。〜告白実行委員会〜」は、個人的にとても衝撃的アニメ映画で、これまでの価値観の一部を崩すほどの衝撃を受けた作品である。
 よく見るシン・ゴジラの「面白い理由」として挙げられるポイントの中に、「邦画的な売れる要素(イケメン、美少女、ポップな主題歌)がない」「頭の悪い人間がいない」というようなものが挙げられているが、そこをいくと、「ずっと前から好きでした。〜告白実行委員会〜」にはイケメンはいるし、美少女もいるし、主題歌も劇中歌もポップだし、頭の悪い登場人物も大勢いる。
 話の筋としても、マーガレットの少女マンガでよく見るような、ご都合主義的、夢物語的な話で、新鮮味はなく、むしろ展開の理不尽さ、一部の登場人物が一身に「物語的なワリを食っている」ところなど、粗の方が目立つといってもいい。
 しかしながら、「ずっと前から好きでした。〜告白実行委員会〜」はロングランを続けており、つまり、売れているわけである。
 では、誰に売れているのか? ウケているのか? というと、勿論それは「前述のような感想を持たない人間」にウケているのだ。
 はっきりいうと、ヲタクという人種は、自分が面白いと判断できないもの、ぶっちゃけ「つまらないもの」に関しては、評価しない、いや、「下に見る」傾向が強い。
「なぜ、あんな売れないのがわかりきっているような、つまらないものを作るんだろう?」「その金があるなら、もうちょっと別な事に使えばいいのに」「同じ監督のあの(俺が好きな)作品に予算をつけて、傑作映画にしてくれればよかったのに」などというのは、ヲタクであれば、大なり小なり、一度は思った事があるであろう。
ずっと前から好きでした。〜告白実行委員会〜」は、前述のように、一般的な「ヲタク」の尺度から見れば、駄作である。しかし、我々が「駄作」と判断した作品を見て、女子高生は共感し、泣くのである!
 例えばこれが実写の邦画であれば、媒体が違いすぎるがゆえに、不思議に思うだけで終わったであろう。
 しかし、これは比較的ヲタクにも理解しやすいアニメ映画で、客層も(年齢層が違うとはいえ)ニコニコをメインとしたネットユーザーである。その、「どちらかといえば、比較的感性が近いと言えなくもない存在」が、私にとってはまったく理解できない感動をし、涙を流しているのである。
 これを大きな衝撃と言わずして、なんと表現するべきだろうか?
 ここから学べる事は、「自分の価値観、尺度は絶対ではない」ということである。私がこの映画を「クリエイティブな人に見て欲しい」と勧めるのはこのためで、自分が作り出すものに対して、常に「疑い」を持つという姿勢を持って欲しい、と考えたからだ。
(勿論、「そんな事はわかっている」という人もいるだろう。それは申し訳ない。が、そこはまずおいて欲しい)
 どんなに逆立ちしようとも、自分が作り出せるものは自分という範疇を超える事ができない、私は考えている。いくら「面白い」「つまらない」と自分で自分の作品にランクをつけたところで、そのどちらもが「自分が、自分の中から生み出したもの」であって、「自分」という枠組みを超えたものは、決して生み出せないのである(伝わり辛いだろうが……)。
 ここで、自分が「面白い」と判断した作品については、まぁ、とりあえずおいておこう。問題は、自分が「つまらない」と判断した作品である。
 自分が「つまらない」と判断して、人知れずお蔵入りにしようとした作品は、果たして本当に「つまらない」ものなのか? 自分がつまらないと感じるだけで、然るべき場所に届ければ、それは大きなムーブメントを生み出す力を秘めたものなのではないか? なら、その場所はどこなのか? どう発表すれば効果的なのか? そういった事を考える事が、「大ヒット」を生み出すきっかけになるのではないか?
 そういう事を、「ずっと前から好きでした。〜告白実行委員会〜」を見て、思ったのである。
 私はクリエイティブな人間ではない。加えていうなら、自分の感性が常に正しいと思って生きている人間である。
 しかし、そういった「正しさ」は一方的なものであり、決して双方向的(他人も、同じ感想を持つ)なものではない、ということを、(普段から意識するようにはしているが)改めて強く感じたのである。
 この世に、本当の意味で「つまらない」という作品は、本当は存在しないのかもしれない。どんな作品も、誰かにとっての「面白い」になりえる可能性を秘めており、ゆえに、人はそれを笑う事はできないのだ。
 あらゆる作品は、「誰かの面白い」になりえる部分を持っている。ならば、それを頭ごなしに否定する事は、自分が絶賛する作品を、「所詮は、狭い尺度でしか物事を見ることができない人間の絶賛」と軽んじられてしまう可能性を秘めている。そうした気付きを、「ずっと前から好きでした。〜告白実行委員会〜」は与えてくれたのである。
 
 
 だがケイオスドラゴン、テメーはダメだ。