「君、影薄いね」と貴方は言った

ネットの片隅に生きるだらだらしたアラフォーブログ

某件についての不倒城についての所感

 ややこしいな。

 先日起こった痛ましい事件については、特にブログに書くようなことはないのですが、その件に関してしんざきさんのブログで触れている部分に対して、少し思うところあり、書き残しておこうと思います。

hagexさんに「問題」や「責任」を求めようとする全ての言説に反対します。
http://mubou.seesaa.net/article/460211645.html

 前提として、しんざきさんの意見に同調できることは少ないのですが、人生経験や知識・見識の差を考えれば、しんざきさんの方が、私などより正しい意見をお持ちなのだろうと考えています。

 ただ、それはそれとして、私なりに思うところがないこともないので、以下はその感想文ということで……。
 基本的にはTwitterで述べた所感の整理です。

※※※ここから※※※

 しんざきさんとは大体意見が合わないが、それはそれとして被害者が加害者をいじめていた、という認識があるのだとすれば、それは誤解であることは間違いない。

>これがいじめだという人は、「荒らしは通報するな、通報したとしてもそれを周囲と共有するな、それはいじめだ」と言っているのでしょうか?正直意味が分かりません。

 私の見方では、「荒らしは通報するな」ではなくて「キチガイに触れるな」という方が正しい。明らかに「触れたらまずい」とわかる相手に触れたと喧伝したのは、対象の反応を考えれば悪手であると思う(その行為が正当であったとしても)。

 ただ、手足を動かすこと、唇を動かすことが、意図せずして「いじめ」という状況を作り上げてしまうほど、影響力のある人間というのはいる。ネットの名義を使って講演会を開くほどそれに自覚的だったのであれば、自らの行動に対してもう少し思慮を持つべきだっただろう。

>これで殺されるなら、あなたが殺されていたかも知れませんし、私が殺されていたかも知れません。

 これはその通りで、ネット上のどんな発言も、殺意の対象に成り得るという事が判明した事件なのだと思う。
 「ネットは自由だ」という幻想は完全に死に絶え、自由である代わりに、それ以上に過剰に責任を問われる世界であり、「表現すること」は「異常者に目をつけられること」という高いリスクを持つことだという事が浮き彫りになった、特定の層にはまったく受け入れがたい事件であるのだろう。

 被害者に問題や責任を持たせるというよりは、何をすることも自己責任であり、(比喩ではなく)殺される覚悟すら必要だ、という話なのかもしれない。そんな世界は間違っているとか、受け入れ難いという話ではなく、「実のところ、そういう世界だった」という事が判明しただけで、その事実は動かしようがない。であるなら、意識を変革させなければならないのは常に人の方である。

※※※ここまで※※※

※補足(今回の事件は天災や交通事故の類だ、という意見に対して)※

 交通事故だというのなら、交通ルールを100%守っていたと胸を張れるように生きろって言ってるのよな。「信号無視してました」とか「周囲をよく見ないで横断歩道渡ろうとしました」みたいな人間が「これは交通事故! 萎縮すれば移動の自由が失われる!」って言ったって説得力ないでしょってこと。

 ネットウォッチという行為自体がどうこうってわけじゃない。後ろ暗いイメージの言葉だが、観察する対象によって周囲に与える所感が変化する行為だからね。

※※※補足おわり※※※

 冒頭にも書いた通り、私はしんざきさんの意見に同調できないことの方が多いです。だからといって、その考えを改めさせたいとは少しも思いませんし、私自身の意見が変わることもありません。
 思うに、現代のネットでは一定の「無関心」(敢えて、寛容さ、とは表現しません)が必要なのでしょう。

『そういう意見もある、でも私はこう思うし、それは変わらない』

 現代、特にネットをまっとうに利用する層からは、実のところ「致命的に間違った理屈」は出てこないのではないかな、と考えています。だから、どちらが正しい、どちらが間違っている、ということはなく、「誰もが正しい」状態なことが多いのではないでしょうか?(自己正当化に聞こえるので何ともおさまりが悪いですが……)。

 インターネットという、他人との距離を推し量り辛い世界が日常になっている現代では、自己の基盤となる思想を構築しながら、他人に対してはある程度の無関心でいることが、今までより更に求められているのかもしれません。

以上。