「君、影薄いね」と貴方は言った

ネットの片隅に生きるだらだらしたアラサーブログ

好悪の判断基準と不明なアカウント

 前回の件について、少し考えさせられる出来事があり、もう一度書き記しておく。前半は相変わらずの自分のTwitterでの発言を再構成したもの、思うところがあったことは後半に書き記しておく。

※※※ここからTwitterまとめ※※※

 私の「被害者に選ばれたことは偶然だった」という説に対する苛立ちは、概ね「論理的でない」点にあるのだろう。何らかの理屈があっての結果だったとして、その説を採用する人間の発言からは、その理屈を読み取ることができない。多くの言及において、「被害者は自分だったかもしれない」「俺にはわかるが、これは天災や事故の類」という言い方が見られる。しかし、その直観の理解を他者に納得させる理屈がそこにはない。

「本人が行ってきた行為と、今回の事件は分けて考えるべきなのに、多くの人間は混同している」というような説も多い。しかし、私から見れば、被害者に好意的な見方をしすぎて、事実と私的な感情を混同しているように思える。

 いわゆる「身贔屓な見方」はどんな理知的な人間にも存在することを何度も経験から味わって来たので、そうした言質があればあるほど、私の「対象への見方」が厳しくなっていく。

 但しこれは、私はあくまで「そうであろう」という理屈の通る説の方を好ましく思い、採用しているというだけの話に過ぎない。私は「事実」を採用しているわけではない。「理屈が通る」ことが事実ではない。これは肝に命じたいところである。今のところ、事実は誰にもわからない。

 今の段階で言及できることは、あくまで「リスクは等しくあるけど、行為によってそのリスクが増大する可能性はあるから、自分の行為を省みようね。もうリスク増大させた奴は大人しくするか高すぎる防衛コストを支払おうね」という教訓的な話にしかならず、これはどちらの説を採用していても同じだろう。筋道としては正反対であるのに、辿り着く結論が似通っているのは、面白い現象であると思う。

 今は、加害者が残した数少ない書き込みから、誰もが「このときの加害者の心情を答えよ」という国語の問題をといているようなものなのだろう。そこに答えはない。理屈を通すことはできるが、誰もが間違った答えしか出せない。答えがないのだから。

 私は答えを常に欲しているが、この件に対する今の所の正しい答えは、「答えがない」ことを知り、言及しないことなのだろうと思う。

※※※ここまで※※※

※※※ここからTwitterまとめ・2※※※

「ネットウォッチという行為は、詐欺師から身を護るためのログを残す必要悪の行為である」という説は、確かに正しい。でも、俺が眺めたところ、被害者がしていたのは私見を交えた「扇動」だと思う。

 事実から何を読み取るかは受け手側の問題であって、まとめた事実を私見を交えながら紹介するのは公平性がないと思う。無論、まとめ方にも恣意性は出るが。

※※※ここまで※※※

 閑話休題

 さて、私もまた、ネットで話題になるさまざまな事柄を、興味が向くままに追う、所謂ネットウォッチ的な趣味を持っている。特定の話題が盛り上がったとき、キーワードをTwitterクライアントの検索窓に入れて、さまざまな人の言及を見るのはとても楽しい。

 6月30日、土曜日の朝。私がそんな趣味に興じていると、気になるアカウントを発見することができた。

https://twitter.com/hakobun00/

 このアカウントは、その言動や絡む相手から、加害者のTwitterアカウントだったのではないか? と目されているアカウントらしい。事実はわからないが、確かに見たところ、発言に似たような部分が多く見受けられる。

Twitterで加害者と似たような絡み方をされたことがあるが、あれは本人だったのではないか?」と考察するブログはいくつかある。例えば、下記のような。

かつてTwitterにいた「低能先生」とよく似たアカウント
http://lastline.hatenablog.com/entry/2018/06/27/110625

 ここで言及されているアカウントと名前は違うが、おそらく、先程紹介したアカウントも似たような感じなのではないだろうか? ちなみに、hakobun01というアカウントも持っていたようだが、そちらは凍結済みである。その他、情報の取りまとめは下記を参考にして欲しい。

■「低能先生」の生きているTwitterアカウント
https://anond.hatelabo.jp/20180627145801

 このアカウントを眺めていると、次のようなやり取りを発見することができた。何らかの理由でアカウントが凍結されないとも限らないので、画像で貼り付けておく。



 このやりとりを発見したとき、言葉にできない思いが胸に去来した。
 このアカウントが加害者本人であるかどうか、それはわからない。このやり取りから読み取れることは、「このアカウントの持ち主は、ただ「事実」のみをもって好悪の判断を行っている」ということである。

 好悪の基準、善悪の判断、それを定めるのは難しい。相手が強大であれば、何をしても許されるのか。相手が悪人であれば、どんな批判も許されるのか。「相手が強大である」「相手が悪人である」という判断は、誰が行うのか。

 人間が100%正しい理性を持っているのならば、個々の事例ごとにこうした判断を行っても構わないかもしれない。しかし、そうでない以上、絶対的な「事実」を基準とすることは、私は間違っていると思わない。
 そして、事実を基準として考えたとき、多くの人間が「心情」を考慮して「正しい」と判断している出来事が、実のところ、まったく同じ構造をもつ別の事柄に対して「正しくない」と判断されるような、矛盾する面を持っている場合があることに気づくことがある。

 私の話になるが、私は、こうした矛盾を好まない。なので、私は私の基準に照らし合わせて、「その行為が悪である」と判断した場合は、相手が誰であろうと「それはおかしい」と意見を表明することにしている。

 さて、件のアカウントはこう言っている。「書いてないことは明らかではないよ」、と。確かにその通りである。
 重ねていうが、このアカウントが、加害者のものであるかどうか、それはわからない。しかし、その言動などに類似性が見られるのは、確かなようにも思える。

 そんな彼が、件の事件に関する現状を眺めたとき、どう感じるだろうか。どんな批判的な内容にも、どんな同情的な内容にも、「書かれていないことを勝手に読み取るな」と怒るだろうか?

 正直をいうと、私は彼とは似たような思考を持っているのではないか、と考えている。しかし、そうしたシンパシーも、所詮は「思い込み」に過ぎず、正確な判断を誤らせる原因でしかないのであろう。

 以上。