「君、影薄いね」と貴方は言った

ネットの片隅に生きるだらだらしたフォーブログ

5月・6月評価に代えて 出さなかった手紙 レトラ編

 9700文字くらいあるのだが?

 

 

 レトラさんに対してこうしたエントリを書くとき、「悩みを抱え込みやすいレトラさんに対して、いったい何をお伝えすればいいのか? どうお伝えすればいいのか?」と、いつも迷います。ここでは、「ヴイアライヴとしての活動3年目を迎えるレトラさんが、私の目にどう映っているか?」を、ファンではなく消費者の目線で書いていこうと思います。

 

■はじめに 

 さて、まずはっきりさせておきたいのは、この長ったらしい文章を読むことで、レトラさんが何か得をするのか? プラスに働く点はあるのか? ということです。

 結論からいえば、得もなければ、プラスに働く点もありません。

 

 これには3つの理由があります。

 

1.私がおっさんだから

 私はそこら辺のおっさんで、レトラさんは20代の若者です。おっさんが若者にする自称”ありがたい話”は、される方にとってはまったく響かない、つまらなくキモいもの。それは永遠にくつがえすことのできないこの世の真理です。ましてや、私はシロウトで、レトラさんはエンターテイメントのプロ。私の話で役に立つ部分があるはずがありません。

 

2.これから話題にすることは「遅い」から

 今までの感触では、私がレトラさんの配信や行動になんらかの違和感を覚え、意見を送るまでの間に、レトラさんや運営さんは、すでに問題点の改善にとりくんでいることが多いという印象です。レトラさんや運営さんは、私の想像の何倍も真剣に自己分析を行っていて、私程度が送る平凡な意見は、レトラさんがなにか新しい気づきを得る役に立つことはないだろうと考えています。あと、単純にこのエントリが読めるようになるのは8/16以降の予定なので。

 

3.私を信じるべきではないから

 1の理由に近いですが、そもそも、私はいったい誰なんでしょう? 性別も、年齢も、顔も名前も知らない正体不明の人間の話を真に受けるなんてバカげています。もしかしたら私は、こうして意見を送ることで、レトラさんの行動や思考に一定の影響を与え、行動をコントロールしようとする異常者かもしれないわけですからね。もちろん、私自身にそのつもりはありませんが、無意識にそう考えていないとは言い切れない。レトラさんは、見ている人間に「何かひとこと言わせたくなる」部分がありますから。ですから、ここに書いてあることを真に受ける必要はありません。

 

■では、なぜ書くのか?

 これも3つ理由があります。

 

1.言いたくなったから

 色々とそれらしい理由をつけることは簡単ですが、やはり、簡単に言うと「言いたくなったから」が理由です。私は、世界一裏表のないヴイアラファンを自称しているのですが(?)、やはり人間、もやもやを隠しながら生きていると、だんだん病んできますからね。

 

2.読書の代わりになると考えたから

 読書が苦手なら、ファンレターやご意見を読めばいいじゃない。

 

3.レトラさんが崖っぷちに立っているから

 数字的な話ではありません。

 レトラさんはこれから、念願の「シンガー」の道に踏み出すわけですが、それはめでたいと同時に、多くの実力者とステージで並びながら、ファンを獲得していかなければならないということを意味します。私の個人的な願いになりますが、レトラさんには、そのステージで「勝って」欲しい。

 

 ここでいう「勝ち」とは何なのか?

 それは、共演者に埋もれず、「レトラの歌」の印象を、多くの人の心に残すことです。例え相手が星街すいせいであったとしても、レトラさんには勝って欲しい。

 これがとても難しいことだということは、他ならぬレトラさんが一番よくわかっていると思います。そういう意味で、レトラさんは念願の道に踏み出すのと同時に、再び崖っぷちに(=失敗する余裕がない立場に)立つことになった。私はそう考えています。

 

 では、そんなレトラさんに対して、私ができることは何なのかを考えたとき、「候補生時代と同じこと」くらいしか出来ることはないなという結論になりました。つまり、(最初に言ったことと矛盾しますが)レトラさんが何らかに気づくきっかけになることを祈って、私なりにレトラさんを評価することしかできないということです。

 

■私から見たレトラさん(ここを直せ、という話ではありません)

1.運が悪い

 2年ほどレトラさんを配信で見てきて思うのは、レトラさんってめちゃくちゃ間が悪いですよね。その6割くらいは、レトラさんの準備不足や詰めの甘さが原因で、4割くらいは本当に運が悪いというのが私の印象です。個人的な経験からいえば、運が悪い人間が物事を成功させるには、他人の5倍はしっかり事前準備が必要なように思います。

 

2.あらゆる部分に「よくわからんし、ま、こんなもんでええやろ笑笑」が多い

 1からの続きになりますが、レトラさんの配信を拝見していて感じるのは、とにかく準備が足りないということです。忙しいからなのか、それとも、しっかり準備し始めると終わらないからなのか……理由はわかりませんが、とにかく準備していても最後の大事な部分の確認をしていなかったり、そもそも準備らしい準備すらしていないことが多いように感じています。

 

3.「歌で誰かに寄り添う」「居場所を作る」というテーマと、普段の態度が一致しない

 レトラさんを拝見していて感じるのは、レトラさんは自分のことに精一杯で、他人の心の内を読み取るのが苦手なのかもしれないな、ということです。

 レトラさんには「歌で他人に寄り添いたい」というテーマがあるはずです。しかし、配信でのリスナーとのやりとりなどを見るにつけ、あまり、寄り添う……つまり、「相手の気持ちを理解し、共感し、支える」という行為を、理解できていないように感じます。

 

 例えば、1stライブで配信がなかったことに対して、ファンの間でそれなりに不満があったことはレトラさんもご存知だと思いますが(私も、不満を持っている側です)、挑発するように「現地が最高」という発言を繰り返していたのには、どういう意図があったのでしょうか? 多分、ただたんに「現地が最高」だということを言いたかったのでしょうね。しかし、様々な事情から現地に行くことができず、ましてやリアルタイムの配信すらなくて同じ時間を共有できなかった人間の前でこうした発言を繰り返すのは、「寄り添う」「居場所を作る」というテーマからかけ離れているように思います。

 

 人間は連想する生き物です。

 普段の態度がこうだけど、歌だけは別だよ! 歌が本心だよ! と言われても、それを信じるにはレトラさんに対する相当の「信頼」が必要ですし、それを作るには長い時間が必要です。そんな長い時間をかけるくらいなら、そもそも言わないほうが効率がいいのではないかと思います。

 

4.ステージ上で「表情」が見えないときがある

 えるすりーやブイアワを見ていて感じるのは、多くのパフォーマーは、「ステージ上で何らかの感情を露わにしている」ということです。たとえばそれは「ステージができることに対する感謝」だったり、「歌うことの楽しさ」だったり、「このステージに魂のすべてを賭けるという気迫」だったり。私がニブいのもあると思いますが、レトラさんからは、あまりそういう感情を読み取ることができません。

 

 これは、レトラさんが外部ステージに参加したときに、特に感じます。レトラさんは音程を重視しているとおうかがいしたことがありますから、もしかすると、音程を重視しようとする緊張から、「感情」が隠れてしまっているのかもしれません。

 vortexコアのステージが好評だったのは、これまで感情が見えづらかったレトラさんの気迫が全面に出ていたからかもしれませんね。

 

■レトラさんに意識してほしいこと・知ってほしいこと(読んでも読まなくても良い)

1.自分の「魅せ方」を学んで欲しい

 レトラさんが覚えていらっしゃるかどうかわかりませんが、私は長年、「レトラさんは、自然体で自分を魅力的に見せる才能がある」と言ってきました。しかし、2年経ち、「シンガー」として新たな路線に進むことが決まった今、より自分を「魅力的」に見せる方法を学んでいただきたいと思っています。

 

 レトラさんが、候補生時代から「自分をどう見せたいのか?」というイメージを持っていることは知っています。そのイメージを、細かな部分ひとつひとつまで、正確に言葉にできるくらい明確にして欲しい。そして、そのためにはどうすればいいのかを考え、やってほしいと考えています。

 

2.レトラさんの中で「見える場所での行動」に対する優先順位を上げて欲しい

 レトラさんが、ボイトレやダンス練習、歌詞を覚えたり、その他打ち合わせと、大忙しなことは十分わかっています。もちろん、それらはレトラさんの実力を高める上でとても大事なことで、欠かすことはできません。しかし、だからといって「見える場所」……つまり、SNSや配信での活動は後回しにされると、レトラさんに対する誤解や「がっかり」の原因になることを知ってほしいと思っています。

 

例1:マイクの音量や環境 

 レトラさんのマイク音量は、本当にびっくりするほど大きくなったり小さくなったりして安定しません。その原因は、「マイクの設置場所から離れたり近づいたりするから」だとおっしゃっていましたね。「配信用のマイクを買ったら?」というリスナーからの提案に対して、レトラさんは「良いマイクだから」と相手にしていませんでした。しかし、いくら良いマイクでも、びっくりするほど音声が大きくなったり小さくなったりするなら、リスナーにとっては壊れているのと同じことです。

 

 今のレトラさんは、壊れたギターを持ってライブにやってきたギタリストと同じです。ギタリストが、音が勝手に大きくなったり小さくなったりするギターを持ってきて、ライブに参加すると言う。「直すか買い替えるかしろ」と言っても「これはいいギターだから」と言い始め、さらに「アップルウォッチ無くしたから買おうかな」とか言い出したら、私は「は?」と思いますが、レトラさんはどうでしょうか?

 

 レトラさんは、「時間ができたときに音響関係を見直せば、マイク音量の問題も解決できる」と思っていらっしゃるのかもしれません。しかし、時間というものは、作らなければ永遠にできません。私は、レトラさんにとっては、配信もライブと同列の「ステージ」だと思っています。配信環境の構築を後回しにし続けるということは、クソみたいな音響のライブハウスでライブし続けるのと同じです。せっかく配信の時間を作っているのに、配信の面白さとは関係ないところでマイナス評価をつけられるのは、かなりもったいないと思います。

 

例2:SNSの活用 イベント後、SNSでの共演者へのリプライ返し等

 レトラさんは、イベント後などで共演者にリプライをもらっても、一日以上経ってからリプライを返すことが当たり前のようになっています。というか、返さないことすらあります。もしかすると、レトラさんは裏ではめちゃくちゃマメに連絡を取っていて、共演のお礼などもそちらでやっていて、わざわざSNSでリプライを返す必要を感じていないのかもしれません。

 

 しかし、少なくとも私は、まったくリプライを返さないレトラさんを見て、「共演者の方に失礼なのでは?」と思っています。そして、「こういう失礼が、何か悪い方向に影響しなければいいのだけど」と心配してしまいます。

 

「表でなにか行動を起こす」ということは、レトラさんとその相手だけでなく、ファンサービスだったり、ファンを安心させる行動だと思ってください。

 

 このように、SNSは、活用の仕方によっては「ファンに対して安心感を与えるツール」として使えます。例えば、「漢字ドリル全部やりきった!」という報告があれば、ファンは「えらいね」「がんばったね」と褒めてくれるでしょう。「難しすぎて泣きながら詫び入れて許してもらいました……」という報告があれば、「ったく、しょうがねえなw」と言いながらも、ファンはネタとして消化してくれるでしょう。

 

 しかし、何の音沙汰もなければ、ファンとしては「漢字ドリルを無断で投げ出した」としか思えず、「レトラが干されてるのって漢字ドリル投げ出したからなんだよな……」(=自分が気に入らないことは無断で放り出すような不義理をするようなやつだから、周囲からの信頼を失って干されるんだよな)などと、あらぬ憶測や誤解が生まれる原因になってしまいます。

 

■レトラさんにして欲しいこと、または、おっさんが若者に対してドヤ顔人生訓を垂れ流すコーナー

 さて、これまで書いてきたことを踏まえて、レトラさんに「こういうことをして欲しいな」ということを書いていきます。

 

1.人間が社会の中で起こすあらゆる行動には、「対価(たいか)」が必要

 書いていきます、と言っておいてなんですが、その前にひとつ、前提となるお話をさせていただきます。それは、「人間が社会の中で何をするのも自由。しかし、自由に行動するための代金は支払わなければならない」ということです。

 

 人間は、見えないお金を持っています。それは「信頼」です。

 これは、人間がひとつ、社会の中でアクションをとるたびに、増えたり減ったりします。例えば、「相手の顔を見て、元気よく朝の挨拶する:+1」、「顔も見ずに小声でぼそぼそ挨拶する:-1」「そもそも挨拶しない:-2」のように。

 

「信頼」の手持ちが少ない人は、行動の選択肢がとても狭くなります。100円しか持っていないなら、150円のジュースが買えないのと一緒です。「レトラさんは100円しか持っていない。100円以下で買えるのは水しかない」という状況があったとします。そのとき、喉が渇いたら、どれだけ水が嫌いだとしても100円以下で買える水を買って飲むしかありません。

 逆に、「信頼」の手持ちが多い人は、行動の選択肢が増えていきます。200円持っていれば、150円のジュースが買える。2000円持っていれば箱買いして好きなときに飲めるかもしれませんし、5000円あれば「2~3種類のジュースを同時に箱買いして、気分で好きなものを飲む」という自由が得られるかもしれない、というのと同じように。

 

 お金と同じように、「信頼」も「自由に振る舞う権利」を使うたびに消費されていきます。自由とは、「わがまま」と言いかえてもいいでしょう。自分の「わがまま」を実現するために、「信頼」が消費される。わがままの規模が大きければ大きいほど、必要になる「信頼」も大きくなっていく。そういうイメージを持っていただければと思います。

 

 こうして考えると、「自分の夢や目標を達成したいとき、”誰の”信頼を、”どの程度”貯めればいいのか?」を、なんとなく計算することができます。そして、「その信頼を貯めるために、自分が日々、社会の中でどのように振る舞えばいいのか?」を決めやすいのではないかと思います。

 

2.自分の行動全てに対して、それがどんな意味を持つのかを自覚し、決断して欲しい

 何が言いたいうのかというと、レトラさんは「自分の行動が信頼を減らすものなのか、増やすものなのか」ということを、あまり意識していないように見える、ということです。

 

 レトラさんは以前、「自分の発言が、相手に正しく伝わらなくて傷つけたり怒らせたりすることがある」というようなことをおっしゃっていた覚えがあります。これは、レトラさんが「意識できていない」ことを裏付けるエピソードの1つです。

 

 自分の腕の長さを正確に知らなければ、それを振り回したときに思いがけない相手を殴りつけてしまうかもしれない。何かを掴もうと手を伸ばして、空振りしてしまうかもしれない。それと同じように、自分の行動ひとつひとつが、自分以外の相手にどういう影響を与えるのか? どういう印象を与えるのか? それを知らなければ、いつの間にか信頼を失い、思わぬアクシデントを産んでしまいかねません。

 

 もちろん、誰にどんな影響を与えるかなんて、正確に知ることはできません。ですが、「少なくとも自分が、それをやられてムカつかないかどうか」はイメージできると思います。レトラさんの横にレトラさんがいたとして、「「この課題をやれ」と渡したのに一切やらずにいる」とか、「行きたかった場所に行けなかったのを知っているのに、「あの場所最高だったよね~w」と一生連呼してくる」とかされたとして、自分がどう思うかはイメージできるのではないでしょうか? 別にレトラさんでなくても、エア勝股でもいいですが。

 

■結論

 さて。

 ここまでの話を踏まえた上で言いますが、レトラさんがどう行動するかは自由です。色々と言ってきましたが、別に漢字ドリルをやらなかろうが、現地煽りをしようが、社会の中で好きなように振る舞う権利がレトラさんにはあります。

 

 与えられた課題をこなさないことで、「指示を聞かないやつ」というイメージを持たれ、信頼を失ってもいいのなら。

 

 現地煽りをすることで、レトラさんに対してムカつくリスナーがいたり、「この人は他人に配慮できない人なんだな」と思われてもいいのなら。

 

 レトラさんが、「自分の行動が、周囲にどういう影響を与える可能性があるのか?」を理解し、「結果を受け入れる覚悟を持って、あえて選択する」という決断をしたのであれば、どのように振る舞うかは完全に自由です。もしそうなのであれば、それがどのような行動だったとしても、私はレトラさんの行動を支持します(その行動について、どう思うかは別の話です)。

 

 しかし、今の(ここでは、2025年4~6月頃を指します)レトラさんは、正直なところ、こうした部分についてあまり意識できていないように見えます。考えていたとしても、考え抜く前に「どうせ、どんな風になるのかなんてわからないんだからいいや」と切り上げてしまっているように見えます。

 

 何度も言いますが、意識する必要も、考え抜く必要もありません。その結果、やりたかった物事が、それなりに高い確率で上手くいかないかもしれないというリスクを、きちんと自覚し、「意識しないこと・考えないこと」を決断したのならですが。 

 

 私は、自分の行動と、その結果に責任を持つ人間が好きです。ですから、レトラさんにも、そのようになって欲しいと思っています。

 

■結論・裏

 ここまでダラダラ長々と話してきたことをすべてちゃぶ台返ししますが、レトラさんの「今」をまったく変えずに、すべての問題を解決する方法があります。

 それは、「とにかく歌が上手くなること」です。ここでいう「上手い」はそんじょそこらの上手さではありません。国内トップレベルの上手さという意味です。

 

 歌は、歌う人間の人生を表現する手段のひとつです。つまり、(ちょっと強引ですが)人生とは、歌だと考えることもできます。人生が歌だとするなら、「歌い方」の中に人生のヒントがあるのではないか?

 

 そこで注目したいのが、こちらです。

 

Official Lesson】アイドル育成プロジェクト vα-liv 7月前編【特別講師:渡辺量 さん】

https://www.youtube.com/watch?v=m_YULPs05hc&t=1146s

 

 要約すると、「自分という個性をたもちながら曲に寄り添うには、どうしたらいいのか?」という質問に対して、

 

・自分の持ち味を弱めてでも、曲の世界観に寄り添うやり方

・どんな曲だろうが、自分の持ち味を突き詰めることで、周囲を納得させるやり方

 

 この2パターンがある、という内容です。

 

 これを人生に置きかえて考えると、

 

・自分の「自由」を少し犠牲にしてでも、周囲に合わせ、協力して生きていくやり方

・周囲に合わせられなくても、何か一つ、強烈な才能を武器にして、周囲を強引に自分に合わせるやり方

 

 この2つの生き方がある、と考えることができます。そして、今の自分を少しも変えたくないと思うなら、後者を選ぶこともできますよ、ということです。

 

 強烈な才能は、ある程度、周囲を黙らせる”力”があります。もし、自分の才能に絶対的な自信があるのなら、こうした道も選択肢のひとつになるのかもしれませんね。

 

■補足

 ……などと、まるでレトラさんにたくさんの欠点があるような印象を受ける文章を書いてきましたが、実際にはそんなことはありません。レトラさんが、ひとつひとつ、自分の必要なことに向き合い、それをこなそうと努力していることは、レトラさんをある程度見ていれば、ちゃんとわかります。

 

 私が特にレトラさんについて感心しているのは、ダンスと向き合い、こなせるようになったことです。様々な意見があると思いますが、個人的には、「ヴイアラ」というステージを踏み台にする以上、自分がやりたくないこと(≒ダンス)をおざなりにするのは「違う」だろう、と考えていました。レトラさんは、自分の好きな歌をいったん脇においてまで、ダンスに向き合い、結果として1stライブを成功させることができました。これはとても素晴らしいことだと思います。

 

 また、細かなことですが、配信についての向き合い方にも変化があらわれてきましたね。特に感じるのは、レトラさんが「謝れるようになった」ということです。

 

「子どもじゃねえんだぞバカにしてんのか」と思われるかもしれませんが、見ず知らずのおっさんに、「すみません」と真面目に謝ることは、私の感覚で言えばかなり難しいことです。ましてや、レトラさんが意識されているかどうかわかりませんが、レトラさんには短くない期間で積み上げてきた「我々の前で披露するキャラクター」がある。それを崩すというのは、抵抗を覚えるものです。

 

 これを見てください。

 これは、2023年8月1日時点での、私のレトラさんに対する評価です。今見るとめちゃくちゃなことが書いてありますが(申し訳ありません)、この頃に比べれば、今のレトラさんはすべての面において格段に成長しています。人には、誰しも成長のペースがあります。これからも、少しずつでも成長していってくれると信じています。

 

■ご提案

 さて、ここまで書いてきたことは、冒頭にも書いた通り、内容に特に意味はありません。ではなぜ、わざわざこんな長ったらしい文章を書いたのか?

 

 それは、ファンレターを読むことで、「読書」の代わりできるかもしれない、と考えたからです。

 

 読書が、なぜ感受性をきたえることに繋がるのか? それは、登場人物の気持ちなどをイメージし、寄り添うことで、「自分以外の人生」を擬似的(ぎじてき)に体験できるからです。

 

 しかし、「人生をベースにした文章」は「本」だけではありません。レトラさんは他人の日記を読むのが好きとおっしゃっていましたが、他人の考えや気持ち、人生に思いをめぐらせることができるなら、別に読むのは日記でもかまわない。同じように、レトラさんに届くファンレターやお気持ち文章にも、書き手の「考え」や「気持ち」が反映されていて、それを書いた人間がどういう人生を歩んでいて、レトラさんに対してどういう想いを託しているのか? それをイメージできるのであれば、ファンレターやご意見を読むことで、読書と同じ効果が得られるのではないか? さらに、ファンレターやご意見であれば、それを読むこと自体が一種のファンサになるので、タイパも良いのでは?

 

 そう考え、このクソ長ったらしい文章を書かせていただきました。

「イメージするファン像」は、別に正確である必要はありません。私がいだくレトラさんのイメージが、レトラさんの実像とかけ離れているように、レトラさんがイメージする私が実像と離れていたとしても、それを口に出さなければ、誰も文句は言いません。もし気が向いたなら、そういう視点でレトラさんの手元にあるファンレターや、ご意見のお手紙を読んでみてはいかがでしょうか? もちろん、もうやっていらっしゃるとは思いますが。