「君、影薄いね」と貴方は言った

ネットの片隅に生きるだらだらしたフォーブログ

ヴイアラ レトラ新曲「アエルシグナル」の歌詞考察・解釈

・あれからどれくらい季節のキャンセルしたかな~はじまりだったかな に追記しました【2025/7/30】

・Xで見かけた解釈を参考にさせていただき、「ほんとうの言葉」の解釈の一部を変更しました。それに伴い、最後の文章を一部変更しました【2025/7/31】

 

 

 レトラさんの4曲目が発表されました。

 

 

 いい曲ですねえ~。

 いい曲ですが、歌詞を見ると非常に難しいですよね。そもそもアエルシグナルって何? Xで検索すると闇バイト出てくんですけど……みたいな。

 

 ここでは、そんな「アエルシグナル」の内容について、私なりに解釈していきたいと思います。といっても、たった2:37の短い曲ですし、使われている言葉も短く、難しいものではありませんので、大雑把にしか解釈できません。この曲の解釈については、かなり自由度が高いと思いますが、皆さんが曲の内容を自分の中に落とし込む作業の、何らかのフックにしていただけたらと思います。

 

■前説(自語りと言い訳)

 ヴイアラの曲に対して、いつも「解釈」だの「考察」だのえらそうに言っているのですが、私のしていることは歌詞を元にした二次創作のようなものだと思っています。

 考察のプロは、考察にほとんど余白を残しません。私は歌詞の意味が取れなかったりすると、「まあ、ここら辺はなんか雰囲気で意味取ればいっか笑」みたいになります。アエルシグナルで言えば、「光だけだった」の部分は、「なんかこう……ファンタジーな感じやろなぁ……w」で済ましてしまうわけですが、考察のプロは「ここがこうでこう考えられるから、光というのはつまり〇〇!」みたいにバシッと答えを導き出すわけです。

 ですから、これから書いていくことは、なんかゆるい感じで見守っていただくとありがたいです。

 

■はじめに

 この曲について考えるとき、意識しなければならないことがいくつかあります。

・va-livとして設定された「ソロ4曲目」のテーマ

  これまでのソロ曲は3曲とも、候補生時代~デビュー1年目のできごとや、「その時点」での個人のパーソナリティにある程度紐づいた内容になっています。これは、Scarlet RoseやBreakerも同じです。そもそも、va-livは今のところ、1曲ごとに同一テーマで曲を発注しているようですから、3曲目の中で1曲だけ、エトワールのように個人に強く紐付いた曲が出てくるわけがないのです。
 
 さて、4曲目は「これまでとテーマを変えてくる」ということでどんなものが出てくるのかと思っていましたが、愛夏さんを見る限り、「個人のパーソナリティと完全にかけ離れたテーマではない」という予想が成り立ちます。
 
 まだ宇宙さんの4曲目が出ていないので何とも言えませんが、個人的には「今までフォーカスされてきた自分とは違う側面」がテーマになっているのではないかと予想しています。
 
 愛夏さんは「おしゃれに憧れる年頃の少女」という一面が表現されていました。では、アエルシグナルで表現されているレトラさんの一面は、一体どんなものでしょう? 歌詞の内容を見る限り、「現実に打ちのめされ、逃げ出し、「居場所」を求めた、かつての弱い自分」をテーマにしているのではないかと感じています。
 
・レトラ誕生祭2024
 この考えのベースには、「レトラ誕生祭2024」があります。「レトラ誕生祭2024」で、レトラさんは「セトリをチョイスした意味を考察して欲しい」みたいなことを言っていたと思いますが、みなさんはきちんと向き合いましたか?
 
 あのリサイタルで紡がれたのは、ひとりの少女が打ちのめされ、ふさぎこみ、やがて立ち直り、誰かに寄り添おうとする物語です。この物語で重要な役割を果たすのが、少女が「誰かに寄り添うこと」を目指すきっかけとなった、「君」の存在です。
 
「ストーリーとしてありふれたもの」といわれればそうですが、この物語の中で語られた「少女」と「君」の関係性は、アエルシグナルの「私」と「君」に、非常に似ているように感じます。
 
 私が、これにどんな面白みを感じているかは、後ほどご紹介しようと思います。

 

アエルシグナル解釈・前提として

 そもそも、「アエルシグナル」とは何なんでしょうか。歌詞には「夢で会えるシグナル」というワードが出てきます。いや、だからシグナルってなんやねん? 単純に考えれば「信号」という意味になりますね。

 

 歌詞の内容をざっと見たとき、解釈に役立ちそうなワードはいくつかありますが、特に注目したいのは「ふたりを記憶する回路」です。みなさんは「記憶する回路」といわれて、何を連想するでしょうか? 私が連想したのは「脳」です。

 

 脳に関連する用語に、「シグナル伝達」という言葉があります(脳に限った話でもないようですが)。

 

シグナル伝達 - Wikipedia

 

 はい、まったくわかりませんね。 アエルシグナルの歌詞以上に難解なわけですが、サラッと見ただけでも「シグナル伝達プロセスには一般に、シグナル、受容体、エフェクターの3つの要素が関与する」など、なんだか関連しそうな言葉が並んでいることがわかります。

 

 さて、もうちょっとわかりやすい説明はないのでしょうか?

→ありました。

 

日本学術会議_おもしろ情報館

 

 めちゃくちゃ大雑把に言うと、この「電気信号」の受け渡しが「シグナル伝達」です(多分。そこら辺のおっさんに詳細を求めないで欲しい)。ところで、このニューロンネットワークの図は、ジャケ写の「繋がれたエフェクター」と似ていると思いませんか?

 

 さて、そろそろ「シグナル伝達はわかったけど、そもそも俺はアエルシグナルの話をしているんだが?」とキレられそうなのでまとめに入りますが、歌詞にもある通り、「アエルシグナル」とは「もう夢でしか会えない「君」に会えるシグナル」です。「夢でしか会えない」のは何故か? 歌詞を見れば、おそらくそれは「君」が亡くなったからだと考えられます。しかし、当然ですが亡くなった人に会えるわけがない。であるなら、「アエルシグナル」とは脳に誤認を引き起こす電気信号を意味していると考えることができます。

 

 この解釈から、私は歌詞中の語り手(以降、「私」と表記します)は「君」のいる幻覚の世界に溺れていると考えました。

 この説は、ジャケ写やレトラさんの歌声からも補強することができます。まず、ジャケ写のエフェクターは、有識者によれば「Atlantic」という機種がモデルになっているそうです。

 

Atlantic | Verdugo Series Stompboxes | Products | ARIA 荒井貿易株式会社 Arai & Co., Inc.

 

 HPの商品説明によれば、「ディレイ機能とリバーブ機能、そしてシマー機能を搭載」と書いてあります。いや、ディレイとリバーブとシマーってどう違うんや?

 

リバーブとディレイ、エコーの違い【今さら聞けない用語シリーズ】 | Digiland(デジランド)

 

 このサイトによれば、ディレイは「音の遅延」、リバーブ「残響音」を付加する機能のようです。組み合わせる場合は、通常、ディレイ→リバーブの順に組み合わせるそうです。これはずいぶん示唆(しさ)的です。つまり、「亡くなった」という現実を受け入れられずに認識を遅らせ(ディレイ)、「君」の残響(リバーブ)を「君」本人だと認識する。「いない人間をいるものと認識している」。これが幻覚でなくて、いったいなんでしょう? ましてや、おそらく「私」は、いないはずの「君」との日常を、きらきらした、幻想的なものだと認識している(シマー)わけですから。

 

 また、聞いてもらえればわかると思いますが、レトラさんの歌声には過剰なほどエフェクトがかかっていますよね。声そのものが歪むほどに。これは、「私」の認識にエフェクトがかけられ、異常なまでに歪んでいることを暗喩しているように思います。

 

 さて、こうした前提を元に歌詞を見ていきますが、まず最初に言いたいことは、この歌詞のすべてを解釈することは無理だということです。いや、無理でしょ……どう見ても……。ですから、最初に言った通り、解釈可能なところだけつまんでいこうと思います。更に言うなら、通常、私は解釈にはファンタジックな要素を極力入れないようにしています。「なんでもあり」になってしまいますからね。しかし、今回は「幻覚の世界」の出来事を解釈するわけですから、少しばかりそういう要素を考慮に入れることにします。まあ、つまりかなり子供っぽい解釈になると思うけど許してね、ということです。

 

・あれからどれくらい季節のキャンセルしたかな~はじまりだったかな

 これまでの前提をふまえて考えたとき、「季節のキャンセル」と聞いてイメージするのは、「季節を認識できなくなった」ということです。なぜわからなくなったんでしょう? それは「はじまったから」です。何が? 「「君」がまだ存在する世界での生活が」です。亡くなったはずの「君」が存在する以上、季節が移り変わると何らかの違和感が発生する可能性があります。だから、季節はキャンセルされる。

 もしくは、「君が存在した最後の何ヶ月か」を、彼女はずっと引き伸ばしているのかもしれません。だから、時間がそこから移り変わらない……という可能性もありますね。

 

【2025/7/30追記】

 改めて読むと、本来言いたかったことがよくわからなくなっていたので、もう少し単純に書くことにしました。

 みなさんは、「朝から読書やゲームに熱中していて、夕方ごろに外に出たら地面が濡れていた」という経験はありませんか? これは雨(が降ったという事実への認識)をキャンセルしたと考えることができます。ここから、「季節のキャンセル」というのは、単純に「外に出ることがなくなった」ことを表現していると考えています。外に出ることがないので季節の移り変わりを認識できず、それが幻覚の世界の夏(コンポーザーの方の「夏を裂くようです」という表現から)をいつまでも終わらせない。そんな感じのイメージを持っています。

 

 ここから、「私」を客観的に見たとき、現状はかなりよろしくないという推察が成り立ちます。この歌詞全体から察せられる原因や症状を考えると、「私」は大きなショックから悲嘆症を患い、社会生活どころか日常生活すら送れなくなっていると考えることができます(統合失調症や幻覚剤の可能性も考えましたが、可能性としてはこちらの方が高いかなと)。

 

2.悲嘆反応の一般的な経過

https://www.npa.go.jp/koutsuu/kikaku/jikosupport/report/pdf/15jigyouhoukoku/2-3-3-2.pdf

 

死別後に長引く悲嘆が共感性を抑制:悲嘆の脳科学的メカニズムを解明 | 国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター National Center of Neurology and Psychiatry

 

・ぜんぶもう忘れてもいいんだよ 夢で会えるシグナル

「ぜんぶもう忘れてもいいんだよ」は、正直、「私」の台詞としても「君」の台詞としても、少し違和感がありますね。しかし、「幻覚の「君」が「私」にかけてくれた優しい言葉」だと考えると、一応の筋は通るように思います。

 

・「ほんとうの言葉が~笑ったふりかな」

 幻覚の世界ですら、「君」はすでに重い病気をわずらっています。「ほんとうの言葉」とは、「君に死んでほしくない」とか「元気になって欲しい」とか、「笑って」のような「私」の願望でしょうか? あるいは、もっと別な何かでしょうか? しかし、重い病状に苦しむ「君」の前では、そういった言葉さえ、口にするのがはばかられてしまいます。

 

・かなしみ(は)きっと、パスポート

 判断に迷うところです。「深い悲しみは、君が存在する世界(=幻覚の世界)に行くために必要なもの」という意味かと思いましたが……なんとも言い難い。あと(は)って何? 基本的に()は、くくられた言葉を「強調」するものだと思います。かなしみ”は”パスポート。じゃあ喜びや怒り、楽しみでは、「君」のいる世界にはいけないの? まあ、いけないでしょうね。

 

・届いて!~整っている

 ここは正直、解釈する人ごとに正解があるところだと思います。

 一応、私が触れられる範囲で見ていくと、

 

・この空の終わりの方まで

 人間は「空の終わり」に至ることはできません。手を伸ばしても届かない、空を見上げても見通せない。もちろん、たとえ空を飛べたとしても、「終わりの方」までたどり着くことはできません。そんな「空の終わりの方」のさらに先におわす存在は、人間よりもはるかに高位の存在のはずです。

 

 ここら辺から、レトラさんの歌唱の音程は数段あがり、尖ったものに変化していきます。まるでこの声にのせ、「空の終わり」におわす「何者か」に、願いだけでも届いて欲しいとでも言うように。

 

・響いて! 誰にもバレないところまで

 うーん。謎。

 みなさんは、「王様の耳はロバの耳」というお話をご存知でしょうか? 王様の耳がロバであることを知ってしまった床屋は、その事実をかたく口止めされます。しかし、人の口に戸は立てられないもの。床屋はその秘密を、人気のない場所に掘った穴の中に叫びます……。

 

 ここのレトラさんの歌唱は、先程に続き、耳を貫くような高音で、爆発するような感情を表現しているように思います。「私」は、死の淵にいる「君」を前にして、自身の願いを口にすることができませんでした。しかし、心の内で渦巻くその想い――「誰か、”君”を助けて!」という願いを押し留めておくことができません。自分自身を壊れるほど歪ませてなお、誰にもバレない場所、つまり「空の終わりの方」に声を響かせたい。そんな切実な願いを歌った場所……と、いったん解釈しておきましょうか。

 

・気付いて! ふたりの記憶を残す回路(は)整っている

 謎2。

 いや、解釈はできます。でも、これ今いうことか? みたいな……。

 

 うーん。

「気付いて!」は、空の終わりにいる「何者か」に、自分の願いに気付いて欲しい……ということでしょうか。声は「終わりの方」までは届いても、「空の終わり」に届くわけではありませんからね。玄関の外からでかい声で叫んでも、家の中の住人が気付くかどうかはわからないわけじゃないですか。

 

「ふたりの~」に関しては、これは冒頭でも申し上げた通り、「脳」を意味しています(私の解釈ではね)。「脳」が正常なわけですから、その正常な脳が認識している「彼」も、当然生きているはずですよね。しかし、この箇所からは、かなりの必死さを感じます。「ほら! 私の脳は正常だよ! だから彼は生きているんだよ! 見てほら!」みたいな。彼女が本当の意味で彼の死という現実を拒否し、幻覚の世界に耽溺しているなら、こんなに焦ることはないはずです。

 

 ここから察するのは、彼女は幻覚の世界に生きているようで、実際には彼の死も認識しているし、この世界が幻であることにも気付いている、ということです。

 

 ここでも(は)という強調が出てきます。ふたりの記憶を残す回路=脳”は”正常なんです。それ以外が異常なだけで。

 

・痛みのアドレス~もう泣かなくて、いいんだよ

 ここも判断が難しい。「私」がこれを言っているのは、なんだか意味が通じない気がしますよね。「痛みのアドレスを誰にも伝えない」というのは、つまり「痛みの全ては自分だけが引き受ける」ということです。「私」が痛みを感じている描写はありませんから、つまりここは「君」視点ということになりますね。

 

 しかし、「地図のない場所まできみを連れて行く」とは、どういうことでしょう? 一緒に死ぬということでしょうか?

 

・聖者の行進、アップデート。

 その問いに対する答えがこれです。

 聖者の行進とは、非常に陽気なジャズナンバーです。みなさんも一度は聞いたことがあると思います。これは本来、葬儀に使われる曲だそうです。

 

聖者の行進(聖者が町にやってくる)歌詞の意味 和訳 ジャズ

 

 民謡らしく様々な歌詞があるようですが、「聖者」=Saintという単語が使われることは変わりません。そして、Saintとは聖者と同時に、「死者」を意味します。

 歌詞の内容を見ると、聖者の列を眺めながら、「自分もその列に加わりたい」と願う内容になっています。これは、「私」が「君」が救われないことを悟り、「君」と同じ場所にいきたいと願うようになっている、と解釈できます。

 

 では、「君」の言う「地図のない場所へ連れて行く」とは、一緒にあの世に旅立とうという誘いなのでしょうか? いいえ、おそらくそれは違います。なぜなら、聖者の行進は「アップデート」されたからです。

 

 何がアップデートされたのか?

 それは想像するしかありませんが……「連れて行く」と言っているからには、「君」は「私」を何処かに連れて行こうとしているはずです、なら、アップデート内容は「行き先」ではないかと考えています。

 

 本来、聖者の行進は天国を目指します。死者の列ですからね。その行き先にアップデートをかけ、変更することで、死に向かおうとする「君」を救おう、ということなのかもしれません。じゃあ地図のない場所ってどこだよ? これまた解釈が難しいですが、それは「未来」ということなのかもしれませんね。「未来」とは可能性であり、その形に決まりはありません。「未来への切符はいつも白紙なんだ」とヴァッシュも言っていますしね。多分そんな感じのことでしょう。そもそも、聖者の行進は葬送の後半、人が家路につくときに演奏される曲なわけですから。「天国に一緒に連れて行く」なんて意味であるはずがありません。

 

・「届いて!~整っている」

 これら一連の叫びや願いが「君」視点のものだとするなら、これらは一体どういう意味を持つのでしょうか?

 

「君」も「私」と同じように、「空の終わりの方」にいる「何者か」に願っているということなのかもしれません。この声が届け、響けと、強く、強く。

 あるいは、すでに存在しない「君」は、まだ生きている「私」に、絶対に声を届けることができない。けれども、どうしても届けたいという意味にもとれるかもしれません(その場合、「誰にもバレない場所まで」の意味が通りませんが……)→死者の声は生きている人には届かないから、どれだけ声を響かせても「誰にもバレない」ということなのかも?

 

・気付いて! ふたりの記憶を残す回路(は)整っている

 曲が表現するように、すでに「私」の内面世界は加速度的に崩壊していっています。感情が嵐のように渦巻く中、「君」は必死に「私」に呼びかけます。「君は現実と向き合うことができる」と。そのことに気付いて! と。なぜなら、彼女は狂ったふりをしているだけなのですから。

 

・きらきらしている~でも涙が出た

 奇跡的に「君」の声が「私」に届いたのでしょうか? 彼女の意識は急速に、幻覚と現実を交互に認識し始めます。

「君」がいるきらきらした世界は、もうどこにも存在しなくて。そこで過ごした日々は幻だったけれど、やっぱりかけがえのないもので。さまざまな感情がないまぜになりながら幻覚の世界を思い出せば、思い浮かぶのは彼女の心を救った「光」だけ。そして、「私」は唐突に悟ります。今の自分が正気ではないことを。

 

・ね、また、遊ぼうね なんて 言えないけどね!

 これはいったい、どちらの台詞でしょう?

 個人的には、これは「私」が現実に立ち返ってから、しばらく経った頃のできごとで。声にエフェクトがかかったままなことからわかるように、「私」はまだ完全に「君」を振り切れたわけではありません。それでも。

 

「私」は、今はもう存在しない「君」が、これ以上心配しないように。

「君」は、「私」が現実を生きていけることを、確かに見届けて。

 

 もう二度と会えないと理解しながら、それでもあのとき言えなかった「ほんとうの言葉」を口にします。「ね、また、遊ぼうね……なんて、言えないけどね!」 冗談めかしたその言葉は、「私」と「君」なりの”さようなら”。もしそうなら、美しいなと思っています。

 

 さて、ここまでですでに8600文字くらいあるわけですが、ちょっと長くなりすぎなので、レトラ誕生祭2024との関係性や、私が感じる面白みについては、別の機会に(気が向けば)書いていこうかと思います。

 

 以上。

 

関連:

blue876.hatenablog.com