■はじめに
前回は書き忘れたのですが、記事中で「レトラ」といった場合、「揺らぎと願いという物語の主役であるレトラ」のことを指します。「エアプレトラ」とか、「揺らぎと願い:レトラ」という表記でもいいのですが、気が抜けたり、長かったりしますからね。
「物語の主役としてのレトラ」は、「現実のレトラ」と近いエピソードを持っていると思いますが、「そのもの」を持っているわけではありません。太宰治が作ったツケの身代わりとして、檀一雄が熱海に置き去りにされ、しかも太宰は戻ってこなかったというエピソードが、(おそらく)「走れメロス」の元になったように、現実をベースにしていても、そこから描き出されるストーリーはまったく違う味わいを持っている可能性もあるわけですから。
■「揺らぎと願い2:ヒッチコック」の解釈の前に
今回の選曲は、個人的には意外でした。前回もお話させていただいたように、私は「揺らぎと願い」という物語を、誕生祭2024の再解釈だと考えています。誕生祭2024の2曲目は「アイロニ」で、テーマは「哀愁」。そこから考えると、前回同様、もっと暗い曲調の歌が選ばれると思っていたのです。「哀愁」、またはそれに近いテーマをきちんとおさえながら、全体の雰囲気が暗くなりすぎない良い選曲だと思います。
さて、もし私が2025年に、大真面目な顔で「ヒッチコックを解釈する」と言っている人間を見たら、「本気か?」と正気を疑うかもしれません。それくらい、いまさら私がするまでもなく、この曲の解釈は世にあふれています。ともすれば、「原曲の解釈読めばよくね?」になってしまいかねないヒッチコックに、レトラさんはどんな物語を綴ったのか。それを私なりに読み取っていきたいと思います。
■「揺らぎと願い2:ヒッチコック」登場人物
まずは登場人物を考えてみましょう。
レトラ:
登場人物のひとりめは、もちろんレトラさんです。彼女は、この歌の「語り手」です。おそらくですが、夢破れ、様々なオーディションに応募するも望んだ結果が得られず、候補生時代の本人が語っていたように「音楽関係の裏方として働く」という選択肢が現実的になってきた頃のレトラさんではないかと思います。
「先生」:
ここでいう「先生」は、彼女の周囲に存在した「大人」という概念の擬人化だと解釈しています。世の中に対する不信におちいっていたレトラさんですが、そんな彼女に寄り添おうとする存在があったのは、誕生祭2024の「アイロニ」で示されています。しかし、彼女がその「寄り添い」を拒絶してしまうことも、「アイロニ」で示されているわけですが。
一方、彼女を取り巻く「大人」が彼女に寄り添おうとする人間ばかりだったかというと、そういうわけではありません。むしろ、少数派だったかもしれない。それは、いわゆる「2023年9月回後半」で示されているとおりです。

「あなた」:
歌の最後に登場する「あなた」です。「あなただけを知りたいのは我儘ですか」の「あなた」は、大抵の場合、「先生」と同一人物だと解釈されます。しかし、God knows……から地続きの物語であることを考えれば、レトラさんが焦がれる「あなた」とは「願い」であると解釈したほうが、スムーズなのではないかと思います。
■歌詞解釈
歌詞を見ていただけるとわかるのですが、原曲の歌詞の大部分はカギ括弧でくくられています。これを指して、「カギ括弧でくくられていない部分だけが本心」と解釈される場合もあります。一方、今回のMVで表示されている歌詞には、カギ括弧が存在しません。この解釈を採用するなら、歌にこめられた、息苦しさを感じさせるほどの苦悩すべてが、当時のレトラさんの嘘いつわりない心情ということなのかもしれませんね。
・雨の匂いに~胸が騒めくのは何でなんでしょうか
何気ない問いかけから物語ははじまります。どこか感情を失ったような平坦さで、しかし、少しばかりの身の回りの変化にも心が揺れる、レトラさんの心の敏感さを思わせる部分です。
・人に笑われたら~思えばいいんでしょうか
あまり「こういうことがあった」と具体的な事例を当てはめる部分ではないように思います。ただ、God knows……時代の彼女が必死に現実にあらがおうとする様子を、「そんなことをしても無駄なのに」と笑う人間は、もしかしたら居たのかもしれません。
かつての彼女なら、嘲笑(ちょうしょう)を受けても「いつか報われる」と信じて行動できたのかもしれません。しかし今となっては、かつてのように考え、行動を起こそうとする気力はありません。
・さよならって言葉で~足が止まっていた
レトラさんの挫折は、彼女の心をひどく敏感にしてしまったようです。「終わり」を連想させるものを耳にするたび、目にするたびに、彼女の心は乱暴にかき混ぜられ、あるいは締め付けられ、痛めつけられ、その場で立ち尽くすばかりになってしまいます。
バンド解散後しばらくして、彼女は一見、普通に生活できているように見えます。しかし、「レトラ」という器には悲しみがなみなみと注がれていて、それはほんの少し注ぎ足されるだけであふれ、ほんの少し衝撃を受けるだけでこぼれてしまう。そんな、深い悲しみを抱えながら日常を生きるレトラさんの姿を想像してしまう部分です。
余談になりますが、レトラさんは2024年頃、「季節の終わりを連想させるものを見ると、意味もなく悲しくなる」ということを仰っていたように思います。それは、レトラさんの心に残った傷が、まだ癒えていなかったからなのかもしれませんね。
・「先生、人生相談です~楽ですか」
レトラさんは、「先生」に、どうすればこの苦しみから逃れられるのかを問いかけます。なぜなら、自分で答えを見つけられなかったからです。
・そんなの誰もわかりはしないよなんて言われますか
ここで気をつけなければならないのは、誰もそんなことは言っていないということです。これはレトラさんが自分で用意した、ひねくれた答えです。彼女はそれだけ、「大人」を信用できなくなっています。
・ほら、苦しさなんて欲しいわけない~我儘ですか
誰も、好きこのんで苦しみを欲しがるわけはありません。「何もしないで生きていたい」というのは、5000兆円非課税で欲しいという意味ではなく、「苦しむことなく、ただ私が望む生き方がしたい」という意味でしょう。彼女はただ青空を見上げたいだけなのに、空は覆う厚い雲は、彼女にそれを許しません。
・胸が傷んでも嘘がつけるのは~わざとなんでしょうか
個人的な考えでは、この問いかけ自体に深い意味はありません。しかしみなさんは、こうした問いかけに答えることができますか? 多くの人は、この問いかけに答えることはできないのではないでしょうか。
もちろん、頭をひねって「それらしい」答えを用意することはできるかもしれません。しかし、その用意した答えは、心の底から自分を納得させることができるほど、確かなものですか? ただなんとなく、その場をやり過ごすためだけに用意した上っ面だけの綺麗事でないと、断言できるでしょうか?
・青春って値札が~どこか期待していた
多くの人は、ここでこう考えるでしょう。「ヒッチコックみたいなサスペンスってなんやねん」。もちろんそれは、語り手であるレトラさんにも、きっとわかっていません。
考えてもみてください。「ヒッチコックが好きという18歳前後の若者」はそれなりに存在するかもしれませんが、「ヒッチコックの映画論や物語論を理解し、語れる18歳前後の若者」となると、かなり珍しいのではないでしょうか。ですから、ここでいう「ヒッチコックみたいなサスペンス」とは、単純に「緊張感や不安にあふれたもの」を意味すると考えるのが自然だと思います。
彼女はかつて夢破れました。もちろんその瞬間の彼女は、世界でいちばんの悲しみを背負っていました。これは大げさでもなんでもありません。そもそも、喜びや悲しみといった感情の度合いは、誰かと比べられるものではありません。多くの大人が、青春の苦悩を「大したことがなかった」と思えるのは、遠くから他人事のように過去を眺められるようになったからです。しかし、等身大の青春を生きる彼や彼女にとっては、今その瞬間に見えるもの・感じるものが現実のすべてです。
さて、残念なことに、彼女には何も起きませんでした。
世界でいちばんの悲しみを背負った彼女は、今も普通に生き、平凡な日常を暮らしています。その事実が、彼女に「自分が物語の主役ではない」という現実を突きつけます。密かに期待したような劇的な救いや、ヒッチコックのサスペンスのようなドキドキハラハラの展開は、彼女の人生には訪れない。つまりそれは、現実的な選択肢を、ごく当たり前のように受け入れるしかないということを意味しています。
・「先生どうでもいいんですよ~埋め方は書かないんだ」
「先生」から与えられる当たり障りのない「答え」に、レトラさんは感情を爆発させます。その場を取り繕うだけの綺麗事にしか聞こえない「先生」の答えでは、レトラさんの痛みは少しも癒えません。
ニーチェやフロイトの名前が出てきますが、この歌は、その論理や思想に深く触れるものではありません。一応、ニーチェやフロイトの、この歌詞に関連しそうな思想を(私も門外漢なので、まったく詳しくありませんが)軽くご紹介すると、
ニーチェは、「同じ人生が永遠に繰り返される」という考えを持っていました。永劫回帰の中では、人生の中で起こる喜びも悲しみもすべて、少しの違いもなく繰り返されます。ニーチェは、その繰り返しを受け入れ、肯定することで、人生から不安をなくすことができる、と考えていました。
ここではものすごく簡単に、「つまらない悲しみにとらわれていないで、前向きに生きろ」という考え方だと解釈します(乱暴)。
フロイトの「イド・エゴ・スーパーエゴ」:
フロイトは、人間の心は「イド」と「エゴ」、そして「スーパーエゴ」という3つの領域に分けられると考えていました。この歌に関係があるのは、この中で「イド」と「エゴ」です。
イドは、人間の本能的な欲求が存在する領域です。通常、人間はこの領域のことを自覚できません。一方、「エゴ」はいわゆる「自意識」が存在する領域です。そしてスーパーエゴは、幼い頃に受けたしつけが形成した、イドとエゴの監視役です。
フロイトの考えでは、人は、本能的な欲求を、エゴ(とスーパーエゴ)によって、現実と折り合いがつくものに調整していくことになっています。
ここではものすごく簡単に、「夢ばっかり語ってないで現実を見ろ」という、ありがちな意見だと解釈します(乱暴)。
ここで出てくる「ニーチェやフロイト」は、レトラさんに「悲しんでばっかりいないで、前を向こう」とか、「夢ばっかり追ってないで、そろそろ現実的な身の振り方を考えたらどうだ?」というような話をする、つまらない大人を象徴する存在です。彼らは「心」について分析し、「より善く生きられる」ための論理を構築し、本まで出しています。しかし、そんな彼らも、「今、この瞬間に感じている空虚さを、すぐにでもなくす方法」は教えてくれません。
等身大の青春を生きるレトラさんにとって、つまらない大人が口にするありきたりなご意見は、すべて無駄にしか思えません。なぜなら、前向きに生きたところで、現実を直視したところで、レトラさんの抱える苦しみや悲しみが「なかったこと」になるわけではないのですから。
・ただ夏の匂いに~我儘ですか
彼女はただ、もう少しの間だけ、かつて「願い」と共にすごした日々に浸っていたいだけなのかもしれません。しかし、現実はそれを許してくれません。
・ドラマチックに~嫌になりました
ある「大人」はこう言います。「太く短く、輝くように生きた。いい思い出になったじゃないか」と。「願い」の終焉という、レトラさんにとっては耐えがたい現実も、他人にとってはただの「エンタメ性の高いドラマ」でしかありません。
・先生の夢は何だったんですか~忘れちゃうものなんですか
ここのレトラさんの歌唱は、原曲とは少し違ったニュアンスがこめられているように感じますね。
まるで、彼女の世界のすべてを「よくあること」のように慰める「先生」に向けて、レトラさんは問いかけます。「先生にも、私と同じように夢に生き、それが人生の全てだった頃はなかったんですか?」と。「大人になると忘れちゃうものなんですか?」という問い掛けは、レトラさんから「先生」に対する皮肉のように感じます。
・先生、人生相談です~全部詭弁でした、あぁ……
それでも彼女は、縋るように「先生」に問いかけます。
平気なように見えても、いまだに彼女の悲しみは、苦しみは、痛みは、少しも癒えてはいません。求める答えが得られないまま繰り返される人生相談の果てに、彼女の心はとうとう決壊し、渦巻く感情があふれ出してしまいます。
・この先どうでもいいわけなくて 現実だけがちらついて
彼女が不幸なのは、彼女は夢だけを追いかけられるほど無垢ではなく、待ち受ける「現実」が理解できないほど愚かではないということです。最初から彼女は、もう自分が「行き止まり」にたどり着いてしまったことを理解しています。今の彼女は、避けることのない現実を前にして足を止め、その訪れを少しでも遅らせようとしているにすぎません。
・夏が遠くて
遠い日に彼女が過ごした夏の日を、再び彼女が過ごせるようになる日は来るのでしょうか? 今の彼女は、「そのとき」が永遠に訪れないことを、うっすらと自覚しています。
・これでも本当に良いんですか~言われますか
レトラさんは、現実を受け入れて平凡に生きていかなければならないことを、頭では理解しています。しかし、そうやって生きていくことに対する違和感、気持ち悪さは、消えることがありません。
「そんなの君にしかわからないよ」とは、誰も言っていません。相変わらずひねくれてしまっています。
・ただ夏の匂いに~我儘ですか
彼女はまた、彼女のひかえめな「願い」に想いを馳せます。彼女がいつか、空を覆う厚い雲を抜け、青空を見る日は来るのでしょうか?
・あなただけを知りたいのは我儘ですか
そして、いまは彼女の手の中から失われ、その姿すら見えなくなってしまった「願い」に問いかけます。「願い」だけを求めて生きるという、ただそれだけの純粋な想いは、本当に叶わないことなのか、と。
■最後に
以上、「揺らぎと願い:ヒッチコック」の、私なりの解釈でした。
次回は、候補生時代のストーリーが語られるはずです。誕生祭2024では、候補生時代の物語は「シルエット」として表現されていましたが、今回はいったいどういう曲で、どのような物語が紡がれるのでしょうか?
それでは、気が向けばまた来週。
以上。
前回:
God knows... / 涼宮ハルヒ (CV.平野 綾)【covered by レトラ】の解釈と、「レトラの歌」としてのアエルシグナルの関連性について - 「君、影薄いね」と貴方は言った
(個人的な)関連:
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