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揺らぎと願い3:「ビビデバ(covered by レトラ)」のストーリー解釈例

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■はじめに

 記事中で「レトラ」といった場合、「揺らぎと願いというフィクションの主役であるレトラ」のことを指します。

 

■解釈の前に

 私は、揺らぎと願い3で来る曲を、「レトラが好き」「候補生時代のストーリーにマッチした歌詞」「”あなた”への情熱を歌っている」などの理由から、ノーザンクロス(May'n)だと予想していました。それに伴い、キービジュアルの「候補生時代のレトラ」も、当初の「「願い」を見上げるだけの無力な姿」ではなく、「もう一度「願い」を求めようと決意する姿」なのかもしれないと考えていました。

 その考えは大きく外していないと思いますが、予想よりもずっと激しい曲が来たことに驚きました。予想が外れるというのは嬉しいことですね。次のキービジュアルの印象は、どちらかといえば「おっかなびっくり」なものだと感じていますが、これも私が考えるより前のめりなイメージで表現されるのかもしれませんね。

 

■「シンデレラコンプレックス

 みなさんは、シンデレラコンプレックスという言葉をご存知でしょうか? これは、シンデレラのストーリーになぞらえ、「白馬の王子がいずれどこからかやってきて、苦境にある自分を救ってくれる」と期待する潜在的な依存願望のことです。「白馬の王子」は単純に「男性」に限らず、「自分の人生を変えてくれるもの」全般を指します。

 

「揺らぎと願い:ヒッチコック」のレトラさんを思い返せば、「劇的な救い」や「ヒッチコックのようなサスペンス」を求めていた当時の彼女は、無意識のうちに「シンデレラコンプレックス」を持っていたのかもしれませんね。

 

 そんな「シンデレラコンプレックス」を持つレトラさんを表現した「揺らぎと願い:ヒッチコック」の次が、シンデレラをモチーフにした「ビビデバ」であるというのは、よく考えられているように思います。

 

■「揺らぎと願い:ビビデバ」の解釈の前提として

 まず言いたいことは、この曲を歌詞だけで解釈するのは不可能です(またかよ)。

 これまでの曲と違い、「揺らぎと願い:ビビデバ」を解釈するためには、少し原曲を知る必要があると感じています。だって歌詞だけだとよくわからないから。

 

 個人的な考えでは、この曲は元々、曲とMVが合わさって完成する曲です。というわけで、MVをまず見てみましょう。

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 内容を簡単にまとめると、「シンデレラ」をモチーフにしたMVを撮影する星街すいせいが、どったんばったん大騒ぎの末にガラスの靴とドレスを脱ぎ捨て、ストリートで「自分らしいダンス」を踊って締め、という構成になっています。

 皆さんはこのMVから、どんなイメージを受けましたか? 私の第一印象は、やはり「芯の強さ」とか、「強い女」的なイメージです。

 

■「揺らぎと願い:ビビデバ」の解釈例

 では、「揺らぎと願い:ビビデバ」も、そうした「強さ」を表現しているのでしょうか? しかし、「候補生時代のレトラさん」をいくら思い返してみても、こうした「強さ」には結びつきません。

 

 レトラさんは常日頃から、「強い女を目指している」と口にしています。さらに、候補生時代のレトラさんの自己紹介には「歌なら私に任せてもろて!」と書いてありましたが、これは「そうでありたいという願望」だとおっしゃっていたこともあります。そして「揺らぎと願い:ビビデバ」のレトラさんは、「揺らぎと願い:ヒッチコック」で表現された「弱いレトラさん」から地続きの存在。

 

 これらを総合して考えると、「揺らぎと願い:ビビデバ」が表現するのは、レトラさん自身の「弱い自分から脱却したいという願い」だと考えることができます。つまり、全体を通して印象的なレトラさんの強気な歌唱は、実のところ「強がり」だということです。すっかりおなじみになった誕生祭2024で考えると、3曲目「ホントウノワタシ」のテーマ「変化のきざし」、4曲目「シルエット」のテーマ「復活」をあわせ持っていると考えることができますね。

 

■解釈例の補強要素として

 さて、レトラさんを候補生時代から追いかけているファン、またはアイドルマスターファンの方は、ビビデバ原曲MVから読み取れるメッセージに、どこか覚えがあるのではないでしょうか? 実は、レトラさんは候補生時代に、同じテーマを扱った曲を歌ったことがあります。

 

 それが、誕生祭2023で歌われた「ガールズ・イン・ザ・フロンティア」です。

 

 誕生祭2023のラスト(アンコールを除く)に歌われたこの曲は、レトラさんが「この曲を歌いたい」と希望して選ばれたものです【要出典】。この選曲は、曲に「想い」を託すレトラさんが、当時、どういった考えを持っていたのかを知る手がかりになるのではないかと考えています。

 

■ビビデバ歌詞解釈例

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・つまらないデイズもう散々ね!

 かつての日々を否定するような、強い言葉で物語は始まります。

「God knows……」「ヒッチコック」と、あれだけ弱々しかったレトラさんと同じ人物とは思えませんね。

 

・奇跡願っているだけの人生~(THE PARTY AIN'T STARTED) 

WATCH ME DO」は「私を見て」、「I WANNA BE FREE」は「私は自由になりたい」、「THE PARTY AIN'T STARTED」は「パーティはまだ始まっていない」という意味です。

 

 彼女がいくら悲しんだところで、物語の主役ではなかった彼女のもとに、劇的な救いも、サスペンスのようなドキドキハラハラも訪れなかったことは、「ヒッチコック」で示された通りです。

 

 彼女は、奇跡を待ちながら悲しむだけの日々に見切りをつけ、新たな一歩を踏み出すことを決意します。なぜなら、彼女はやり直す機会を得たからです。確かに築き上げてきたものは崩れてしまったかもしれませんが、それはただふりだしに戻っただけに過ぎません。

 

・HEYタクシー ちょっと宇宙まで

 歌詞が前後するのですが、「呪術秘中トリック無しのマジック」と合わせて解釈するところかなと思っています。

 

「呪術秘中」とは「魔法は隠された存在」という意味でしょうか? 奇跡が訪れなかったように、「自分を変えてくれる魔法」をかけてくれる都合のいい存在も、きっと現れることはない、とレトラさんは考えているのかもしれません。だから、変わりたいなら自分で自分に魔法をかけるしかない。しかし当然、彼女は魔法なんか使えません。唯一使えるとすれば、それは「トリック無しのマジック」だけ。一般的にそれは、努力と呼ばれます。

 

「奇跡や魔法のような特別な力は存在しない」。レトラさんがこう考えていることは、魔法の馬車というファンタジックな乗り物の代わりとして、何の変哲もないタクシーを呼び出しているところからもわかります。「ちょっと宇宙まで」は星街すいせい要素なんで……(放棄)。

 

・秒針は音を立てて~それならば駆け抜けて想通り!

 キービジュアルから考えると、この「秒針は音を立てて~」は、やはり「候補生時代の限られた時間」を指しているのではないかと思います。

 

 ここでいう「人生」は、よく言われるような「人生は短い」的な意味ではなく、「このラストチャンスをつかめなければ、そこで人生は終わり(=人生の時間が残り1年未満しかない)」という意味でしょうか? レトラさんにとって、「歌と共に歩めない人生」というのは、それだけ意義を見いだせないものなのかもしれませんね。

 

 元々、歌と共に生きることをほとんど諦めかけていたレトラさんにとって、候補生時代は1年にも満たない人生の延長戦です。なら、自分の思う通りの生き方で駆け抜けたい。彼女はそんな想いをいだいたのかもしれません。

 

 しかし、原曲MVのこの箇所は、歌詞のイメージとまったく違います。このシーンでは、星街すいせいは「ガラスの靴では上手く踊れない」ことを、MVの監督に主張していて、監督はその抗議を却下しています。これはいったい、どういうことでしょう?

 

・おしゃまな馬車~御唱和あれ!

 ここら辺から、歌詞ひとつひとつの意味をとっていくのが非常に難しい部分になってきます。ですから、原曲MVの描写と合わせてざっくりと解釈していくことにします。

 

 まずは原曲MVを見てみましょう。

「おしゃまな馬車」から、次に解釈する「自由に踊った者勝ちでしょう?」までの一連の歌詞のまとまりは、曲の前半と後半に1回ずつ存在します。しかし、原曲MVにおけるその描写は、前半と後半でまったく違います。原曲MV前半のこの部分では、ドレスに身を包んだ星街すいせいがダンスを披露しますが、やはりガラスの靴では上手く踊ることができずに転んでしまいます。

 

 さて、これを参考にして「揺らぎと願い:ビビデバ」の解釈をしてみましょう。

 まずは「御唱和あれ!」までですが、ここはレトラさんが当初イメージしていた、「アイドルとしての理想の将来」を指しているのではないかと考えました。

 va-livという新しい舞台では、「弱い彼女」のことは誰も知りません。つまり、彼女の理想である「強い自分」を演じるのに好都合な環境です。新しい環境で、彼女がなりたかった「強い自分」を演じられれば、いつかスポットライトは彼女を照らし、多くの人が彼女を称える。va-livに参加した当初のレトラさんは、そんなイメージを持っていたのかもしれません。

 

・BIBBIDI BOBBIDI BOOWA~踊ったもの勝ちでしょう?

「BIBBIDI BOBBIDI BOOWA」は、「シンデレラ」のワンシーン、魔女がシンデレラを美しく変身させるときの魔法「ビビディ・バビディ・ブー」に由来した言葉です(多分)。「ビビディ・バビディ・ブー」という言葉自体は造語で、特に意味はありません。

 

「変身する魔法」を自分で唱えながら、レトラさんはアイドルとして踊ります。彼女はまだ、「強い自分」になれたわけではありませんし、アイドルが何なのかもよくわかっていません。だから、「アイドルとして」自分がしていることが正解なのか、不正解なのか、わからなくなってしまうこともあるかもしれません。しかし、彼女の人生にもう「明日」という猶予は残されていません。なら、少なくとも「弱い自分」ではなく「強い自分」として振る舞いたい。この部分には、そんなレトラさんの想いがこめられているのかもしれませんね。

 

 しかし、原曲MVから考えると、そんなレトラさんの想いと裏腹に、「アイドルとしてのレトラさん」「強い女としてのレトラさん」は、あまり上手くいかなかったことがわかります。何せ、ガラスの靴が原因で転んでいますからね。

 ガラスの靴を履いて踊ってみたはいいものの、「アイドル」というものには、思ったより制約が多かったのかもしれません。思い描いた理想とは違う現実に、「強い自分」という幻想まで剥がれ落ち、「弱い自分」が顔を出してしまった。候補生時代のレトラさんを重ね合わせれば、ここはそういう出来事を表している部分なのかもしれません。

 

・DANCE! ラリラリホ~今すぐJUMPIN OUT

 DANCE! ラリラリホって何?(放棄)

 va-livで活動して少し経ち、「アイドルとして生きる」ことに違和感を覚え、強い女として生きられなくなってしまったレトラさんは、改めて「自分の在り方」について考えます。

 

「彼女に求めらる在り方」の答えは、たったひとつしかありません。それは「アイドル」です。それは、レトラさんもわかっています。だからこそ、彼女はこれまで、自分なりにイメージした「アイドル像」に従って活動してきました。

 

 しかし実際のところ、「答え」が決まっていたとしても、「彼女が用意する答え」に正解はありません。その答えが白紙であろうが、正しいものであろうが、一般的には間違いだと思われるものだろうが、それをジャッジするのは彼女でも、va-livの運営でもなく、「ファン」だからです。

 

 それなら、窮屈な思いをしながら不確かな「アイドル」を演じるより、より「自分らしく」生きてみよう。彼女は改めて、そんな風に考えたのかもしれません。その結果がおっぱいゲームなわけですが。

 

・CHITTY CHITTY BANG BANG~灰に成る迄踊って居よう

 全体的にそうですが、特にこの部分は、さまざまな解釈ができる部分だと思います。

 今回は、次のように解釈したいと思います。

 

 彼女はこれまで、ただ言われたとおりに活動してきました。しかし、その結果として、彼女の中には言葉で表せないさまざまな感情が積み重なり、それは限界までふくれあがってしまいました。

 

 そんな積み重なった思いが、ある日、とうとう爆発してしまいます。そのきっかけは何だったんでしょうか? ともかく、一度あふれ出した想いは止まることなく、弾丸のように彼女の心から飛び出します。その激情の中で、レトラさんはとうとう、「自分の理想とする生き方」の答えを、おぼろげながら見つけ出します。

 

「CHITTY CHITTY BANG BANG(チティチティバンバン。チキチキバンバンの方が馴染み深い発音ですね)」ですが、これもよくわかりませんね(何度目だよ)。これ自体にはっきりした意味はない言葉なので、今回は、パリピ孔明のOPにもなった、ハンガリー人歌手JOLLYの「CIKI CHIKI BAM BAM(チキチキバンバン)」という曲から意味をお借りしましょうか。この曲の原題は「Bulikirály」といい、日本語に訳せば「パーティの王様」的な意味になります。彼女の「人生」というごきげんなパーティはまだ始まったばかり。その主役は、もちろんレトラさんです。

 

 であるなら、パーティの主役として、自分が見つけた出した答えと共に、燃え尽きるほど激しく踊り続けよう。彼女は改めてそう決意します。その決意は、自然と彼女を目指した理想、「強い女」へと導きます。

 

・おしゃまな馬車~踊ったもの勝ちでしょう?

 前半にもあったパートですが、原曲MVを参考にすれば、この部分は前半とはまったく違った意味合いを持っています。

 

 原曲MVでは、MVの監督と喧嘩した星街すいせいが、ドレスを脱いで私服(多分)に着替え、ガラスの靴を放り投げて外に飛び出します。そして、ストリートでダンスを踊って格好良くキメ! 最後に脱ぎ捨てられたガラスの靴を映してMVは終わります。

 

 一方、「揺らぎと願い:ビビデバ」のMVはどうでしょうか?

 ラストカットが原曲MVのオマージュであることから、レトラさんも「ガラスの靴」を脱ぎ捨てていることがわかります。

 

 一方で、「揺らぎと願い:ビビデバ」のレトラさんは、最後までドレスを脱ぎ捨てていません。これは、予算の都合レトラさんが「求められたアイドル像」のすべてを捨てたわけではない、ということを示していると考えることができます。その証拠として、原曲MVのラストカット背景はストリートですが、「揺らぎと願い:ビビデバ」のラストカット背景はパーティ会場です。これは、レトラさんなりに「求められたアイドル像」と向き合おうとしていることを示しているように思います。この場所で踊り続ける気はあるが、ガラスの靴は合わなかった。そういうことなのでしょう。

 自分の意思で下したこの決断は、本当の意味で彼女が「強い女」になるための、第一歩なのかもしれません。

 

■最後に

 以上、「揺らぎと願い:ビビデバ」の解釈例でした。

 正直に言えば、今回はかなり「深読み」した解釈になっています。原曲MVを意識せず、素直にレトラさんの歌い方を受け止めれば、「社会から受けるプレッシャーを跳ね除け、強い女として生きていく決意をしたことを表現している」と解釈することも、当然可能です。

 

 しかし、個人的な考えでは、レトラさんはva-livで活動を開始してから、いくつかの「転機」があったように感じています。候補生時代にも、はっきりわかるほどの「転機」がありました(おっぱいゲーム前後でね)

 

 原曲MVまで含めて考えたとき、ビビデバという曲は、「シンガーから候補生への転機」と「”アイドルとしてのレトラ”から、”一人の人間としてのレトラ”への転機」の2つを表現できるのではないか? そう考え、今回のような解釈を採用することにしました。みなさんはこのカバーを、どう解釈しましたか?

 

 余談ですが、星街すいせいの曲の中で、「シンデレラ」という単語が出てくる曲は2つあり、そのうちの1つが、レトラさんがブイアワ2025夏でカバーした「Stellar Stellar」です。Stellar Stellarでは、「待ってるシンデレラではなく、迎えにいく王子様になりたかった」と語られます。レトラさんが、シンガープロジェクト発表直前のイベントでこの曲を選んだ意味を考えると、その想いの強さを感じることができますね。

 

 さて、次回はいよいよ、デビュー後になってきます。個人的には、次からは誕生祭2024では触れられなかった部分に触れていくのではないかと考えているので、どんな曲が来るのか非常に楽しみです。

 

 曲の解釈がどんどん難しくなっていくのでいつまでストーリーを読み取れるのかわかりませんが、気が向けばまた来週、お会いしましょう。

 

 以上。

 

揺らぎと願い関連:

揺らぎと願い1:「God knows... (covered by レトラ)のストーリー解釈例と、「レトラの歌」としてのアエルシグナル

揺らぎと願い2:「ヒッチコック(covered by レトラ)」のストーリー解釈例