「君、影薄いね」と貴方は言った

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揺らぎと願い4:「混沌ブギ(covered by レトラ)」のストーリー解釈例

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■はじめに

 記事中で「レトラ」といった場合、基本的には「揺らぎと願いというフィクションの主役であるレトラ」のことを指します。今回限りの追記になりますが、この「レトラ」は、基本的に自分のファンや、リスナーに好意的です。

 

■「揺らぎと願い4:混沌ブギ」解釈の前に

 揺らぎと願いシリーズも4曲目となり、折り返しに差し掛かってきました。キービジュアルを見る限り、ここからは(おそらく)デビュー後のレトラさんのことがテーマになってくると予想しています。
 
 レトラさんの正式デビューは2024年も半ば頃のことですから、これを書いている2025年8月現在、そんなに昔のことでもありません。つまり、ここから先のストーリー解釈には、みなさんの頭の中にある色あせない「現実のレトラさん」のイメージが、色濃く反映される可能性が高い、ということです。
 
 みなさんの中の「この1年のレトラさん像」は、いったいどんなものでしょうか? それは、この「歌ってみた」のストーリーを矛盾なく受け止められるものでしたか?
 
■「揺らぎと願い4:混沌ブギ」解釈の手がかりとして
 とはいえ、ファンやリスナーの共通認識は、そこまで大幅にブレることはないと考えています。なぜなら、我々には配信や楽曲を通して、いくつかの手がかりが定期的に与えられているからです。
 
・キメキャワ❤限界ビートちゃん!!
 みなさんは、こちらの配信をご覧になったことがありますか?

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 これが配信されたのは2024年7月6日のことですから、正式デビューした直後くらいですね。個人的には、「揺らぎと願い:混沌ブギ」は、ちょうどこのころの話だと考えています。
 
 さて、先に言っておきますが、当時のレトラさんがそこまで深い意味を持ってこのゲームを選んだとは思っていません。
 しかし、2025年8月現在に立って過去を振り返れば、「監視を受けながら、疲れ切った少女が労働にいそしむ」「限界化すると、「現実の自分」とはかけ離れたキメキャワな姿になり、ごきげんなビートを刻みながら猫を叩き潰す」という内容は、今回の歌詞の内容と重なる部分もあり、どうにも意味深に思えてきませんか?

 

・DYE BAD DAY
 もうひとつの手がかりは、#ヴイアラのアルバム『彼方』に収録された楽曲、「DYE BAD DAY」です。

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 個人的に『彼方』というアルバムは、「遥か『彼方』を望む3人の、それぞれの”現在地”」をテーマにしたものだと考えています。そして、レトラさんの「現在地」を表現する楽曲が「DYE BAD DAY」であるということは、以前にもこのブログで触れた通りです。

 

「DYE BAD DAY」から読み解く、エアプ・サラ・レトラ・オリヴェイラ・ウタガワ解体新書 2025年4月 - 「君、影薄いね」と貴方は言った

  
 誕生祭2024で触れられていたのは「バンド~候補生時代(+理想の未来)」でした。では、「DYE BAD DAY」はそのあと、つまりデビュー後~2025年3月(+理想の将来)までの物語を表現しているのではないか? 

 そう考えてみると、今回の「揺らぎと願い:混沌ブギ」は、「ぐちゃぐちゃに泣いて愚痴って丸めて捨てたホントのこと~届かない現状」という部分に、ぴたりとあてはまるように思います。

 

「DYE BAD DAY」の歌詞を見れば、この曲が「もう一度「夢」を掲げ、悪戦苦闘しながらも前に進んでいく物語」であることがわかります。個人的に、「揺らぎと願い」のストーリー後半は、このラインをなぞるものではないかと考えています。

 

■「揺らぎと願い:混沌ブギ」歌詞解釈例

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 前置きが長くなりましたが、ストーリー解釈に移っていきたいと思います。前回、自分の中にあった「理想のアイドル像」というガラスの靴を放り捨て、それでもva-livというステージで踊り続けることを決断したレトラさん。彼女に待ち受ける物語は、いったいどんなものでしょうか?

 

 結論から言うと、彼女はまたしても迷いの中に叩き落されることになります。内面の迷いを振り切った彼女を迷わせるものは、いったい何でしょう? それは外部的要因、つまり「我々」です。

 


 
 さて、今回は変則的に、歌詞の後半から解釈していくことにします。なぜなら、私はこの箇所こそが、この物語を解釈するのにもっとも重要な場所だと考えているからです。
 
・ワンツーまさかり 三四刈り取り
 ワンツー、三四の部分に、特に意味はありません。ただ、数をかぞえているだけです。ここで重要なのは、「まさかり」「刈り取り」の部分です。
 
「まさかり」と聞いて、みなさんはどういうものを想像しますか? 一般的には、斧のような武器をイメージするのではないかと思います。

 さて、ネットには、古くから「まさかりを投げる」というスラングが存在します。いつ頃から発生したものなのか、どういう意味なのかは、こちらのサイトで詳しく解説されています。

 

マサカリの起源について #ポエム - Qiita

 
 簡単に意味をまとめると、「悪意なく技術的な指摘をすること」、転じて「詰めの甘さを指摘・批判すること」です。
 
 つまり、「ワンツーまさかり」とは、ワンツーパンチくらいの勢いでまさかりを投げられている様子を表している、と考えることができます。それどころか、「三四刈り取り」なわけですから、この部分は「投げつけられたまさかりによって、レトラさんの自信がごっそりと刈り取られてしまった」と解釈することができます。
 
 勘違いしないでいただきたいのは、この歌ってみたによって、レトラさんは「お前らに傷つけられて来たんだよ!」と言いたいわけではない、ということです(多分)。レトラさんは、ファンやリスナーの指摘を邪魔だとか、悪意があるとか思っているわけではありません。むしろ、レトラさんはひとつひとつの指摘を真剣に受け止め、「自分に問題がある」と考え、それを直そうと努力し続けてきました。まがりなりにも自分を追いかけ、支えてくれているファンの言葉です。そこに悪意があるとは、彼女は考えません。
 
 しかし、どれだけ彼女が努力しても、投げつけられるまさかりは減りません。元々、「アイドル」や「配信者」という、右も左もわからない世界に飛び込んだ彼女は、いまだに自分が「どう振舞えば正解なのか?」を見つけることができません。それに加えて、やることなすことまさかりを投げつけられた結果、彼女は自分が手を動かすこと、口を動かすことに怯えてしまうようになってしまいました。何をしても「不正解」だというのなら、何もしないことが一番ですからね。

 

「揺らぎと願い」が彼女の半生を追うストーリーである以上、このときの彼女の内面を無視したり、「嘘」で塗りつぶすわけにはいきません。ですから、彼女は彼女なりの誠実さで、「事実」を綴(つづ)っているのだと思います。淡々と語られる「事実」には、裏も表もありません。
 
 まだ5曲目、6曲目が発表されていない以上、断言することはできませんが、私はアエルシグナルや、「揺らぎと願い」のストーリーを見るにつけ、これを彼女なりのケジメ、禊(みそぎ)だと考えるようになりました。シンガープロジェクトは、彼女の新たな旅立ちです。その旅に挑む前に、彼女が今まで目を背けてきた部分、隠してきた傷、そういったものをさらけ出し、向き合うことで、何の憂(うれ)いもなく新たな一歩を踏み出したい。ただ純粋な想いを胸に抱いて、「願い」に手を伸ばしたい。そういう決意のようなものを感じています。

 

 誰も、好きこのんで苦しみや痛みを欲しがるわけはありません。しかし、「現在」の彼女は、この「苦しみ」や「痛み」は、前に進むために必要なもの……そう考えているのかもしれませんね。それは、「揺らぎと願い:ヒッチコック」の頃と比べて、明確な心の成長です。
 

 まあ、これらはすべて、「揺らぎと願いの主役」としてのレトラさんのお話なのですがね。さて、それでは最初から歌詞を見ていきましょう。

 
・純情? なにそれ~ぶっ飛ぶだけ

 冒頭から、わざとらしくとぼけるレトラさんの姿が描かれます。彼女がとぼけているのは、求められた純情や愛情に対してでしょうか? それとも、そうして「とぼける姿」が、彼女に求められているものなのでしょうか?


 わざとらしい彼女の姿からは、その本当の感情を読み取ることができません。「感情捨て去り~ぶっ飛ぶだけ」という部分からは、彼女が自分の内に抱える想いを押し殺し、ステージの上で「レトラ」を演じていることを感じさせます。

 

・混沌ブギウギハッピー特盛~ドンビーシャイだ もう

 ドンビーシャイ=Don't be shy(ドント・ビー・シャイ)。「遠慮しないで」とか、「恥ずかしがらないで」という意味です。「ドンビーシャイだ もう」という台詞回しから、やぶれかぶれというか、ヤケクソ感が透けて見えますね。

 

・段々堕ちてく~死ぬまで踊れ

 レトラさんには、視聴者からさまざまな理想が押し付けられます。左の人は「ああしろ」と言い、右の人は「こうしろ」という。レトラさんは、正反対の要望を最大限にすくい上げようとしますが、そんなことできるはずがありません。次第に彼女の思考はまとまらなくなり、何も考えられなくなってしまいます。

 そんな自分自身を他人事のように嗤(わら)いながら、「レトラ」という虚像はステージの上で踊り続けます。

 

・完全体の山田~いいかな

 混沌ブギの作者「jon-YAKITORY」さんの曲に、「山田パーフェクト」という曲があります。そちらの歌詞を見ていただければわかるのですが、「完全体の山田」とは、要するに「完璧な理想の姿」的な意味です。

 

 レトラさんも、ファンのみんなが口にするような「完璧で究極なレトラ」に関心がないわけではありません。しかし、「いったい、何をすればそうなれるのか?」については、誰も教えてくれません。

 

「3000体の桑田」に意味はありません。強いて言うなら、「「完璧で究極な完全体のレトラ」になる方法はわからないから、じゃあ3000体のレトラの方がいいかな笑」的な、冗談めかした言葉遊びです。

 

・わがままばかりじゃ落ち着かない~もうなんて言ったらいい? ばかりで

 彼女が配信に向かうときの内心を表現した箇所のように思います。

 もっと自分自身を出したいと思うのに、期待されるとそれに応えてしまう。誰に何を言われるかわからないから、緊張で冷や汗が出て、気持ち悪くなってしまう。思考がまとまらず、嫌な緊張に身体がこわばり、誰もができて当たり前のことすら手につかなくなってしまう。

 

 それが、ただの彼女の思い込みであれば、どれだけ良かったことでしょうか。しかし現実は、彼女が口を開くたびに「ああだ」「こうだ」とリスナーは無責任にわめきたて、彼女はもう、何を言ったらいいのかすらわかりません。

 

・世間体とか投げ出したい~消えていきたいな

 やはり、配信者やアイドルといった職業は、レトラさんには向いていなかったのでしょうか? 彼女はただ、歌で生きていきたかっただけです。そのためなら、苦手なトークにも、やったことのないダンスにも、挑戦する覚悟がありました。

 

 しかし現実はどうでしょう? 無責任な観客からの声援は、そんな彼女のささやかな願いすら見失わせてしまうほどの重圧になっています。

 

 彼女ひとりだけであれば、好きなように生き、好きなように消えることが許されたかもしれません。しかし、今の彼女にそれは許されません。なぜなら、彼女はva-livというプロジェクトの参加者であり……そしてなにより、彼女のファンやリスナーは、それを望まないでしょうから。

 

・純情? なにそれ~死ぬまで踊れ

 ファンやリスナーのため、今日も内心を押し殺しながら、レトラさんは「レトラ」を演じます。そうしなければ、今や彼女はステージに立つことすらできません。

 

・ワンツーまさかり~もういいんだってもう

 ワンツー~刈り取りの部分は、すでに解釈した通りです。「もういいんだって」というのは、そうした指摘はもう十分だという彼女の本音でしょうか? それとも、そうした指摘に苦しむ「本当の彼女」に対して、「もう、何も考えなくていいんだ」と、思考を放棄するように促しているのでしょうか?

 

 MVの背景で回るトゲトゲした謎の物体は、原曲MVにも存在します。これらは、いわゆる「言葉の棘」的なものの暗喩だと考えています。これがカバーMVでも採用されたのは、ただの偶然ではないでしょう。

 

・ハッピーおかわり~さあ 飛び込め

 正確に言えば、ステージの上のすべてが苦痛、というわけではありません。ステージ上では、それなりにハッピーなことも起こります。純粋に彼女を応援するファンの声援はもちろん嬉しいですし、何より、彼女の大好きな「歌」を歌うことができるのですから。彼女は、そのわずかな喜びを糧にして、今日も「レトラ」を演じます。

 

・本能ブギウギ~もういんだってもう

 しかし、そんなわずかな喜びも、次第に混沌とした思考に飲み込まれていってしまいます。「本能ブギウギ 混沌特盛」からは、彼女の混乱がいっそう進んでいく様子がうかがえます。

 

・最低奴等のLike a ミステリ~ぶっ飛ぶだけ

 レトラさんは、ファンやリスナーを喜ばせたいと思っています。それは、嘘偽りない彼女の本心です。しかし、いったいファンやリスナーは、何をすれば喜ぶのでしょう? 何をしても不平不満を口にし、より「完璧」を求める彼らの好みは、レトラさんにとって、まるでミステリーのように難解です。ましてや、リスナーは複数いて、その数だけ好みがあるわけです。「真実はいつもひとつ!」とはいきません。

 

・混沌ブギウギ~死ぬまで踊れ

 BGMも盛り上がり、それに合わせて観客たちの手拍子も加速していきます。「揺らぎと願い:ビビデバ」ではじまったごきげんなパーティは、いよいよ佳境(かきょう)を迎えようとしています。仮面をつけた無責任な観客に囃(はや)し立てられ、レトラさんは狂ったように踊り続けます。

 

・もういいや全部全部ほら~Get Down

 Get Downとは、「踊ろうぜ」とか、「バカになろうぜ」という意味のスラングです。

 彼女はもう、自分が踊っているのか、踊らされているのか、それすらよくわからなくなってしまっています。そんな混沌とした思考を嫌い、彼女は「願い」も、目的も、すべて忘れ、ただ「できることをやる」ことを選びます。彼女にできることはただひとつ、「レトラ」として踊り続けることだけ。パーティの主役は、踊りをやめることを許されないのですから。

 

 この狂乱のパーティは、いつか彼女の足がもつれて転んでしまうまで、終わることはありません。そしてその時は、もうすぐそこまで迫っています。

 

■最後に

 以上、「揺らぎと願い4:混沌ブギ」のストーリー解釈例でした。

 この歌は実のところ、前向きな意味に解釈されることのほうが多いそうです。しかし、「私が見てきたレトラさん」のイメージから考えれば、このカバーで綴られたストーリーは、前向きというよりは「やぶれかぶれ」とか、「勢い任せ」のようなもののほうがしっくりきます。みなさんはどうでしょうか?

 

 今回の歌ってみたでは、レトラさんの歌唱の多芸さを存分に味わうことができましたね。そしてそれは同時に、レトラさんが「多くの期待に応えるため、さまざまな自分を演じていた」ことを表現するものだと考えています。曲の中で目まぐるしく変化するレトラさんの声色は、不器用な彼女が、ファンやリスナーに可能な限り寄り添おうとしてくれていたことを表現しているように感じるのです。

 

 多くの期待を寄せられ、それに応えようとしたレトラさん。しかし、次のキービジュアルでは、勢いよく転んでしまっています。はたして、これはいったいどういうことなのでしょう?

 

 ここまで来ると、もはや正確な見通しを立てることができません。次と、その次に関しては、正直いってどんなストーリーが語られるのか、まったくわかりません。レトラさんがこのあとどうなり、そしてどういう心境で「願い」に手を伸ばすのか。とても楽しみになってきましたね。

 

【2025/8/22追記】

 忘れていましたが、この「揺らぎと願い:混沌ブギ」の解釈例から考えると、キービジュアルの右から4番目は「手を伸ばそうかどうか迷っている姿」ではなく、「願いが目の前を通り過ぎても、それに手を伸ばすことを忘れるほど混乱している姿」なのかもしれませんね。

 

 それでは、気が向けばまた来週お会いしましょう。

 

 以上。

 

前回:

揺らぎと願い3:「ビビデバ(covered by レトラ)」のストーリー解釈例