「君、影薄いね」と貴方は言った

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揺らぎと願い5:「鬼ノ宴」(covered by レトラ)ストーリー解釈例

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■はじめに

 記事中で「レトラ」といった場合、基本的には「揺らぎと願いというフィクションの主役であるレトラ」のことを指します。今回はクライマックス手前ということで、物語としての構成を重視した、現実との乖離が激しそうな解釈を敢えて採用しています。加えて、今回は歌詞そのものより、レトラさんの歌唱やMVから受けるイメージをベースにしてストーリー解釈を行っています。だって歌詞が難解だから。

 

■「揺らぎと願い:混沌ブギ」ストーリー解釈の補足と訂正

「鬼の宴」のストーリー解釈をはじめる前に、今回の物語を受け、前回のストーリー解釈の一部に補足が必要だと感じたので、まずはそこから手を付けていきたいと思います。

 

・「トゲトゲした謎の物体」の解釈について

 私は前回、MVに映る謎のとげとげを「言葉の棘」だと解釈しました。実は、混沌ブギ解釈のテーマである「他人の言葉に傷つき、振り回され、混乱するレトラさん」がブレるので、前回はあえて触れませんでしたが、この謎の物体はもうひとつの意味を持っていると考えています。

 それは「歯車」です。

 

 この謎の物体をよく見ると、棘の先端が平たくなっていることがわかります。これは、原曲MVとの明確な違いです。

 

 下の画像をご覧ください。



 これは、カバーと原曲、それぞれのMVの同じシーンです。左がカバー、右が原曲になります。カバーMVでは、謎の物体の先端(棘)が平たくなっていることがわかりますね。また、先端の色や、全体的に角ばった感じから、なんとなく人工物のようなイメージを受けます。

 

「揺らぎと願い:混沌ブギ」では、レトラさんが「外部的要因」に翻弄される姿が描かれています。そして、その外部的要因には当然、「va-liv」というプロジェクトも含まれます。

 

 レトラさんが多くのしがらみに縛られ、自分を見失い混乱していく様子は、MVのこのシーンからもうかがうことができます。

彼女をとりまく様々な「外部的要因」

 このシーンのレトラさんは「レトラ」を演じていて、その背後には「歯車(仮)」が浮かんでいます。これは前回も触れた通り、レトラさんがプロジェクトやファンという外部的要因の顔色を伺い、プロジェクトを円滑に運営するための歯車として生きていることの暗喩だと考えることができます。

 

 今回の「鬼ノ宴」のストーリー解釈では、このような「レトラさんの現状」を前提にする必要があると考え、補足させていただきました。

 

■「揺らぎと願い:鬼ノ宴」ストーリー解釈の前に

 正直なところ、かなり意表をついた選曲で驚きましたし、歌唱のアレンジの仕方にもだいぶ驚かされました。個人的に、今回はクライマックスである「願いに手を伸ばす」前段階として、「挫折と再起」をテーマにするのではないかと考えていましたが、歌唱まで含めて考えれば、それに近しいテーマを持った物語が綴(つづ)られたのではないかなと思います。

  

「揺らぎと願い:God knows……」の解釈で触れた通り、私は「ずっこけレトラ」で表現される5曲目の選曲によって、この物語全体の味わいが変わると考えていました。「鬼ノ宴」は、原曲こそ強すぎず、弱すぎずの不思議なテイストを持つ楽曲ですが、レトラさんのカバーはかなり、レトラさんの理想である「強い女」に振り切ったものになっていましたね。

 

「揺らぎと願い:ビビデバ」も強い女を意識させるものでしたが、あちらが「強い女」というイメージに憧れ、無理して強がっているようなイメージなのに対して、「揺らぎと願い:鬼ノ宴」では、レトラさんが自らの意思で「強い女」になったとでもいいますか、自然な芯の強さを感じます。

 

 さて、これによって、「揺らぎと願い」の物語は、「”願い”を失い、ただ泣くばかりだった一人の少女が、多くの困難に直面し、ときに迷い、ときに挫折しながら、やがて”願い”に再び手を伸ばす物語」という、全体としては前向きな味わいになったのではないかと思います。

 

 しかし、「自然な芯の強さを感じさせる」とは言ったものの、その境地に至るまでのストーリー解釈は、一筋縄ではいかないようにも感じます。いったい、「揺らぎと願い:鬼ノ宴」でレトラさんが出した結論とは、どんなものなのでしょうか? そして、その結論に至るまでの道筋は、どのようなものだったのでしょうか?

 

■「揺らぎと願い:鬼ノ宴」全体解釈例

 まずは前回のおさらいといきましょう。

 アイドルとして正式にデビューし、多くの人の期待に応えようと努力してきたレトラさん。しかしその努力は、「彼女自身」を次第に摩耗(まもう)させていきます。

 

「揺らぎと願い:混沌ブギ」のMVラストでは、ヒートアップする手拍子に合わせて踊り続けたレトラさんが、最後には限界をむかえ、目を回し、転んでしまったことが示されています。「揺らぎと願い:鬼の宴」で描かれる物語は、そんな限界をむかえたレトラさんの「その後」です。

 

 この曲はペースもおだやかで、心地いいような、何とも不気味なような、不思議な曲調となっています。メイクで違う自分を演出した「ビビデバ」、「周囲に求められた自分」を演じた「混沌ブギ」と、強気でアップテンポな曲が続いてきたわけですが、もしかしたら「本来のレトラさんのテンポ感」は、これくらいなのかもしれませんね。

 

 さて、 みなさんは「揺らぎと願い:鬼ノ宴」を聞いて、どういう印象を受けましたか? どんな印象を受けたにせよ、「落下」というイメージは共通しているのではないでしょうか? カバーMVでも、バンジージャンプ落下するレトラさんの姿が描かれていますしね。

 

 レトラさんの足の裏から伸びているのは、お釈迦様が垂らした蜘蛛の糸でしょうか? かろうじてこの命綱が、落下するレトラさんの命を繋いでいます。しかし、頼りない「蜘蛛の糸」が切れてしまえば、彼女は地面に真っ逆さま。高所からの落下に待ち受ける結末は、確実な「死」だけです。一歩間違えば、そんな悲劇的な結末を迎えるかもしれないにも関わらず、レトラさんの歌唱からは、「落下」や「死」に対する恐怖が少しも感じられません。目前に迫る「死」、それを前にして、いったい彼女は何を想ったのでしょうか?

 

■「揺らぎと願い:鬼ノ宴」ストーリー解釈例

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・何処から喰へば良いものか~決まりばかりの世の中じゃ

 冒頭、何かに悩むレトラさんの姿から物語ははじまります。歌詞には「何処から喰へば」とありますが、もちろんこれは、実際に何かを食べようとしているわけではありません。何に迷っているのかは想像するしかありませんが、歌詞全体から考えれば、やはり、それは「人生」や「生き方」についてだと考えるのが妥当なように思います。

 

 奈落の底へと落ちながら、レトラさんは、これまでの自分を思い返しているのかもしれません。いったい自分はどうすればよかったのか? 何を間違ってしまったのか? そもそも、間違えたのは自分なのか? 何が正しく、誰が間違っていたのか……。

 

 世の中にはレトラさんが知らない決まり事がたくさんあるようで、彼女が自由に生きたいと願うたび、世間の人々は何かと理由をつけて、そんな彼女を否定してきました。何度も否定され、嘲笑(あざわら)われ、叱(しか)られるうちに、レトラさんが思考を辞めてしまったことは、「揺らぎと願い:混沌ブギ」で示された通りです。

 

 思うようにいかない現状に、レトラさんは「死」を意識します。

 

・仏が何時も水を差す~御先にどうぞ遠慮なく

 その「決まり事」とやらは、誰が決めたものなのでしょうか? そもそも、そんな決まり事は本当に存在するのでしょうか? それらを一切無視して、レトラさんの心のおもむくままに振る舞ったところで、いったい何の問題があるのでしょう?

 

 今までの彼女であれば、そんな考えが頭に浮かんだとしても、行動に移すことはありませんでした。それは、彼女の心にいる仏、つまり「良心」が、「ワガママに振る舞うことは良くないことだ」と、彼女の行動を制限していたからです。

 

 しかし、「死」に直面している彼女にとって、いまさら世間体が何だというのでしょう? 好きなように振る舞い、どんな評価を得たところで、今の彼女にとっては痛くも痒くもありません。なぜなら、死んでしまえばすべて消えてしまうのですから。今となってはもう、彼女の心の鬼を押さえつけるものは何もありません。

 

 ここでいう「死」とは、生命活動の「死」ではありません。それは、活動者としての「死」、つまり「引退」です。

 

・あゝ かっぴらけや其御口~好きなもの丈 食べなはれ

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」。あるいは「メメント・モリ」。あるいは、2005年、スティーブ・ジョブズスタンフォード大学卒業式で行ったスピーチから引用してもいいかもしれません。

 

「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳 - 日本経済新聞

 自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。

 

「死」を意識したレトラさんは、だからこそ、自分の理想の在り方や、自分が本当に欲しかったものについて、単純に考えることができたのかもしれません。落下の最中(さなか)、レトラさんは改めて、自分がva-livに参加した当初にあこがれた「理想の姿」を思い浮かべます。

 

 彼女は、自分の「理想の姿」に問いかけます。もし自分が「あなた」であったなら、このまま現状を受け入れ、未来を諦め、「死」を受け入れるだろうか?

 勿論、答えは「NO」です。

 

 もし自分が理想の姿であったなら、きっと自分の「夢」をはっきりと口にするだろう。やりたくないことには頷(うなず)かず、自分の「好き」を目一杯、楽しもうとするだろう。たった一度の人生、誰かに遠慮して自分を殺すなんて、もったいないと笑うだろう。

 

 なら、私もそうしよう。

 レトラさんはそう考えたのかもしれません。

 

・何方を捲りゃ良いものか~死ぬも生きるも紙壱重

 覚悟が決まったからでしょうか? ここからのレトラさんの歌唱は、より強く、格好良さを増しているように感じます。

 

 さて、落下するレトラさんの前に、2枚の札が提示されます。

 

 1枚は「白い札」。白は清潔なもの、聖なるもの、正しいものを連想させます。

 もう1枚は「黒い札」。黒は穢(けが)れであったり、邪悪であったり、間違っているものを、そして何より「死」を連想させます。

 

 普通であれば、ここは「白い札」、つまり「正しい道」を選ぶべきなのでしょう。しかし、考えてみてください。「正しさ」の形は人それぞれですが、大半の人間は、自分が「間違っている」と思うことはやりませんよね。レトラさんも当然、これまで自分が「正しい」と思うことをしてきたはずです。その結果が「今」です。
 
 ここで「白い札」を選んだところで、現状に何の変化もありません。彼女は今まで通りの日常に戻り、そしてほどなく「死」を迎えるでしょう。それでは何の意味もありません。

 
 であれば、どれだけのリスクがあったとしても、ここは「黒い札」を選ぶしかない。この選択によって、もしかしたら状況はさらに悪化するかもしれませんし、結果的に「死」を迎えることに変わりはないのかもしれません。それでも、「白い札」を選んで確定した「死」を待つより、不確定の未来に挑む方がずっと良い。まさしくこの選択は、レトラさんの生死を賭けた「博打」です。
 
・御釈迦が蜘蛛の糸垂らす~踏み外すのも悪くない
 リスクある決断をしたレトラさんですが、それでも、その選択に対して恐怖を感じないわけではありません。「黒い札」を選ぶということは、つまり今までの自分の「正しさ」を否定するということなのですから。

 

 レトラさんは今まで、「正しく」生きてきました。無責任な観客の好き勝手なご意見も真剣に受け止めてきましたし、プロジェクトの方針にも黙って従ってきました。それがレトラさんに求められてきたことだからです。

 

 しかし、彼女がこれから選ぼうとしている道は、それとはまったく逆の道です。「我慢するのが礼儀でしょう?」という仏の言葉から考えれば、レトラさんにとって「ワガママを言う」ことは、とても不安を覚えることなのかもしれませんね。最悪、プロジェクトと噛み合わなくなって、「お疲れさまでした」なんて言われてしまうかもしれないわけですから。壊れた歯車は取り外され、捨てられる運命です。

 

 そんなレトラさんの「未知への挑戦に対する恐怖」を見透かしたように、御釈迦様=良心は、甘い声音でささやきます。「今ならまだ間に合うから、「正しい道」に戻っておいでなさい」と。「正しい道」には変化がありませんが、だからこそ「変わらない安心」があります。

 

 レトラさんは「御釈迦様の誘い」を、とても甘く、優しく、蠱惑的(こわくてき)に歌い上げていますが、それだけ「変わらない安心」というものは、彼女にとって大きな魅力なのかもしれませんね。
 
 一方、「踏み外すのも悪くない」という台詞からもわかるように、彼女の心の鬼、「理想の姿」は、未知への挑戦を前向きにとらえているようです。分の悪い賭けを楽しむような台詞からは、芯の強さや不敵さを感じますね。
 

 きっと今この瞬間が、「正しい道」に戻れる最後の機会なのでしょう。しかし、レトラさんの決断は揺らぎません。これまで「正しい道」を歩んできた自分に「死」を与えたレトラさんは、理想の姿に自分を重ねて生きることを決断します。
 
・あゝ 真っ盛りや此ノ宴~堕ちるとこまで堕ちなはれ
「理想のレトラさん」は、いちど決断を下したなら、もう迷うことはありません。
 
 奈落は闇で閉ざされ、どれだけ深いのか見通すことができません。しかし、奈落の底に激突するまで、少なくとも彼女は生きている。なら、”その時”を迎えるまで、思う存分、自由に踊り続けよう。「理想の自分」であれば、きっとそうするだろうから。

 

 彼女はもう選択しました。

 かつて歩いた「正しい道」に、もう帰ることはできません。

 

・アアイヤイヤイヤ~展ケイヤ

「廻る」という言葉にはさまざまな意味がありますが、ここでは「それまでと異なった立場に変わる」という意味で使われていると考えています。同様に、「展ける」は「さえぎるものがなくなって、見通しが良くなること」という意味で使われていると考えています。

 

 これは、一世一代の大博打に出たレトラさんに対して、「未来が展けますように」という祝いの言葉なのかもしれませんね。誰が言っているのかわかりませんが……勝股?

 

 カバーMVの演出的にこの箇所は、まずイラスト全体から色が失われ、次に全体が暗くなる演出になっています(左から右に順番にイラストが変わっていきます)。

 これは、レトラさんが奈落に深く、深く落ちていっている、つまり「正しい道」と別の道を往く決意を深めていることを表現していると解釈できます。

 

・あゝ かっぴらけや其御口~堕ちなはれ

 光も届かない奈落の深淵に堕ちながら、それでも「理想のレトラさん」が恐れることはありません。

 

 レトラさんは「死」を想ったからこそ、「現在」が二度と訪れない貴重なものであることを理解しています。「なら、「当たり前ではない現在」に、全力で挑んでみよう」と彼女は考えます。結末がどうであろうと、少しの後悔も残さないように。

 

 ラストの力強く、格好いい歌声からは、レトラさんのそんな決意を感じますね。

 

「It's always darkest before the dawn」(夜明け前が一番暗い)

 

 イギリスの聖職者、トーマス・フラーのこの言葉は、「苦難や困難は、終わる前がもっとも苦しいが、その後には希望が待っている」という意味で広く知られています。カバーMVの、未明(夜が明けきらない時間帯)から薄明(太陽が昇りきらない時間帯)への移り変わりを思わせる演出は、まさしくレトラさんの「もっとも困難な時期」の終わりを感じさせます。

左:全体が薄暗くも、色を取り戻しつつある 右:全体の黄色調が、薄明の空を思わせる

 
 たったひとつの”願い”を求めて、たくさんの迷いや苦しみに出会い、そのたびに悩み、傷ついてきたレトラさん。そんな彼女の長い旅路にひとつの結末が訪れるのは、そう遠い未来のことではありません。

 

■最後に

 以上、「揺らぎと願い:鬼ノ宴」のストーリー解釈例でした。

 

 前回、私は「後半のストーリーは、DYE BAD DAYをなぞるものになると予想している」と書いたのですが、今回でほとんど要素を消化してしまいましたね。

 

・内面の問答

・「理想の自分」に従い、より「自由」に生きることを目指すレトラさん

・見渡せない次のステージ/底の見えない奈落の闇

・登り続ける/堕ち続けるという対比

・その先に待つ青空/夜明け

・イエーエエエーウォーオーとアアイヤイヤイヤ etc...

 

 最初はあまり意識していませんでしたが、こうして解釈を終えてみると、ずいぶん似ている箇所があったように思います。

 

 さて、今回は、本来あまり口に出すべきではない「引退」という要素まで踏み込んだ、少し後ろ暗さを持った解釈となりました。

 

 ご覧になっていただいている方は薄々感じていらっしゃるかもしれませんが、私の「揺らぎと願い」の解釈は、どれもあまり明るいものではありません。こうした解釈の根拠になっているものはいくつかあるのですが、そのうちのひとつに「私はまだ救われていない(けど、作詞家さんはストーリーのまとまり的に最後に救いを用意しがち)」という、レトラさんの発言があります【要出典】。

 

 これは今年の、しかも3月以降の発言だったように思うのですが、その時点で、レトラさんはいまだに「救われていない」という自認を持っていたということになります。であれば、曲調がどのようなものであれ、この物語の裏側には、レトラさんの「まだ救われていない」という想いがある。だとするなら、あまり前向きな解釈にはならないだろう、という考えを元に、全体の解釈を行っています。

 

 通常、こうした物語の組み立てとしては、「救い」はラストに提示されるのが一般的です。しかし、暗いものが大好きなレトラさんのことですから、一体どうなるか予想もつきませんね。はたして、「揺らぎと願い」シリーズのラストを飾る一曲には、どのような想いが込められるのか? とても楽しみですね。

 

■余談:va-livは彼女を見捨てるのか?

 さて、ここからは話がとっ散らかるので解釈に入れられなかった余談になります。

 解釈中、「ワガママを言ったらプロジェクトから見捨てられるのでは?」と考えるレトラさんが出てきますが、その心配は実際のところ、的を射たものなのでしょうか?

 それを考えるために、改めてこのカバーMVのイラストを見てみましょう。

 

 まず、この化け物どもはなんやねん? という話ですね。

 この3匹の鬼(鬼?)のうち、右の鬼は「犬」であることがわかっています。

 レトラで犬といえば、愛犬ジゼル

が真っ先に思い浮かぶわけですが、では残りの2体はなんなのでしょう?

 

 左下のやつは、なんか赤い……。

!?

 いやまあ、確かに耳を角に見立てれば……いや……どうかな……。

 

 とすると左上のは……

!?!?

 発注のときに口の位置を説明するの忘れてないか!?!?!? 

 

 つまり



 こういうことか!?!?!?!?!?

 

 ……。

 まあ、真実は置いておくにして、もし仮にそうであるとするならば。

 

 一見、落下するレトラさんを、謎の化け物が虎視眈々と狙っているようなこの構図は、実際には「宇宙星人」「灯され隊マスコット」「ジゼル(ここではヴイアラのマスコットとしてのジゼルを指す)」の3体が見守っている様子だということになります。

 というか、よく見ればレトラさんの足の裏から伸びる蜘蛛の糸は、最後まで切れていません。これはつまり、「va-livは、レトラさんをいつでも引っ張り上げる準備がある」と解釈できます。

 

 それをふまえて改めて先程のイラストを見てみると、

 意外と手厚いな……。

 

 どっとはらい

 

前回:

揺らぎと願い4:「混沌ブギ(covered by レトラ)」のストーリー解釈例 - 「君、影薄いね」と貴方は言った