レトラさんの歌ってみたシーズン1「揺らぎと願い」、全6曲が公開されました。
レトラさんがシンガープロジェクト発表会でおっしゃっていたように、このシリーズは6曲で1つのストーリーを綴(つづ)る、連作歌曲の性格を持っています。
お恥ずかしながら、私も得意で無いなりに「考察」や「解釈」というものは好きでして、曲が公開されるたび、「次はどんなストーリーが綴られるんだろう?」と子供のようにわくわくしておりました。
さて、私はこの数日、あることに頭を悩ませていました。
それは、「揺らぎと願い」とは何なのか? ということです。
名前がついているからには、そこに意味があるはずです。その意味を解釈するため、私はこの数日、ヨビノリたくみの動画を見て物理学を学んだりしておりました(なぜ?)。ちなみに、今回の解釈に物理学は何も関係ありません。
さて、これからお話しするのは、そんな試行錯誤を重ねて導き出した、私なりの「この物語の結末」です。
私の残してきたクソ長ったらしいストーリー解釈例を読んでくださった優しいお方はお気づきかもしれませんが、私の解釈ははっきり言ってどれも暗く、みなさんには「こいつ、暗い話が好きすぎるだろ」と思われたかもしれません。しかし、実際のところ、私はハピエン厨。ですから、今回は暗い解釈を続けてきたお詫びとして(?)、明るい結末をお話ししたいと思います。
■「揺らぎ」――「1つのテーマ」に「2つの結果」
みなさんは、曲を解釈していく中で、「ん?」と思ったことはありませんか? 「なんかこの曲、前にも似たような話をしてなかったか?」みたいな。
私は、曲を解釈していく中で、「揺らぎと願い」という物語では、「1つのテーマ」に対して「2つの曲」が選ばれていると感じるようになりました。
「God knows……」と「シャルル」
「ヒッチコック」と「鬼ノ宴」
「ビビデバ」と「混沌ブギ」
これらはそれぞれ、1つのテーマを表現するために選ばれた「対」の楽曲です。しかし、テーマを同じくしているにも関わらず、それが表現するエピソードの結末は、大きく異なっています。
「揺らぎ」とは「平均値からのズレ」、言い換えると「大きな視点で見ると一緒だが、小さな視点で見たときに発生している差」を意味します。「1つのテーマ」に対して「2つの結果」が発生しているという状態は、まさしく「揺らいでいる」という状態ではないか? そう考えるようになりました。
■「揺らぎと願い」は、あくまでフィクションの「物語」
「揺らぎ」はこれでいいとして、「願い」とは何なのでしょう?
これを解釈するためには、まだこの物語について、深掘りしていく必要がありそうです。
さて、「揺らぎと願い」の物語は、レトラさんの半生に重なる部分が多く、彼女を長く追っていればいるほど、そこで表現されているすべてを「現実のレトラさんのもの」と勘違いしそうになってしまいます。しかし、これはあくまで「物語」。「物語で語られるレトラさん」は、「現実のレトラさん」そのものではありません。
そして「物語である」ということが、「揺らぎと願い」の解釈に役に立つのではないか? 私は、そんな仮説を立てました。
■折り返し構造(裏返し構造)
みなさんは、「物語を分解していくと、特定のパターンに分類できる」という話をご存じでしょうか? 折り返し構造(裏返し構造)は、そんなストーリーパターンのひとつです。
折り返し構造については、こちらを参考にさせていただきました。
先人の知恵というものはありがたいものです。
さて、「折り返し構造」は、次のように定義されます。
1.物語は前半と後半に分けられる。そして後半の要素は、前半の要素の「否定」、または「対立」、または「対照」となっている。
2.後半の要素の配置は、前半の要素の配置と逆になっている。
ここで先ほどの「対」の楽曲を思い出すと、
「God knows……」(1曲目)と「シャルル」(6曲目)
「ヒッチコック」(2曲目)と「鬼ノ宴」(5曲目)
「ビビデバ」(3曲目)と「混沌ブギ」(4曲目)
このように、「2」の条件を満たしていることがわかります。
では、「1」の条件は満たすのでしょうか?
1.
2.「God knows……」:レトラさんは、去っていく「願い」の背を追いかける。
3.「ヒッチコック」:挫折したレトラさんは、その場で立ち止まり停滞する。
4.「ビビデバ」:レトラさんは、自発的に「レトラ」を演じる。
5.「混沌ブギ」:レトラさんは、周囲に「レトラ」を演じることを強要される。
6.「鬼ノ宴」:レトラさんは挫折したが、自らの意志で一歩を踏み出す。
7.「シャルル」:レトラさんは、去っていく「願い」の背に別れを告げる。
8.
こう考えたとき、対の楽曲はそれぞれ、後半が前半を否定、あるいは対立、あるいは対照になっていることがわかります。
■見えない2つのエピソード――「過去」、そして「未来」
1と2の条件を満たしていることから、「揺らぎと願い」には折り返し構造を適用することができる、と考えることができます。この構造を利用することで、「語られていない結末」を導き出すことができる。私はそう考えました。
まず、「この6つのエピソードには前段階が存在する」と考えます。上記の「1」に該当する部分ですね。
2の「God knows……」では、「去っていく「願い」の背を追いかけるレトラさん」が表現されていますから、その前段階として、「レトラさんの手の中から、「願い」が去る」エピソードがあると予想することができます。
さて、折り返し構造では、物語は前半と後半に分けられ、さらに「後半の要素は、前半の要素の否定、あるいは対立、あるいは対照となる」わけですから、「1」の対になる「8」、つまりこの物語の最終的なエピソードは、次のようなものになると考えることができます。
「レトラさんは、その手に「願い」を掴む」
※
ずいぶん都合がいい考え方だと笑われるかもしれませんね。
しかし、「願い」ってのは、元からそういうもんじゃあないですか?
大抵の人は、自分に不都合なことは願いません。ましてや、これは「物語」。ハッピーエンドを望んだところで、誰がそれに文句をつけることができるでしょう?
■「願い」――「私の願い」
この物語の解釈を進める中で、私はひとつの「願い」を抱くようになりました。それは、「”物語のレトラさん”がその手に願いを掴んだように、”現実のレトラさん”の願いも叶って欲しい」という願いです。簡単に言えば、レトラさんを応援したいという気持ちを新たにした……という感じでしょうか。
現実のレトラさんが、この物語にいったいどのような願いをこめたのか? それは、私が断定することはできませんし、想像することすら難しいように思います(とはいえ、さすがに人類絶滅とかではないでしょう)。
va-livがシンガープロジェクトにかなり力を入れているというのは、見ていればわかります。しかし、どれだけ力を入れていようが、現実は物語とは違います。上手くいくのか、いかないのか。それは誰にもわかりません。そんな不確実な道のりを「現実のレトラさん」は旅しているわけです。その胸中は、軽々しく推し量れる(おしはかれる)ものではありません。
しかし、レトラさんがこの物語にどんな「願い」をこめていたにせよ、「どうせ叶わない」と声をかけるより、彼女が上手くいくことを願って「いけるよ」とか「やれるよ」とか声をかけた方が、彼女もやる気が出るってもんじゃないですか?
※
「揺らぎと願い」とは何なのか? その答えは結局のところ、「人それぞれ」としか言えません。私が出した答えは、「揺らぐレトラさんの姿を通して、自分の「願い」を発見する」というものでした。
「現実のレトラさん」は、ときに物事が上手くいかず、落ち込むこともあるかもしれない。ときに自分がしていることが本当に正しいのかわからなくなり、道に迷うことがあるかもしれない。そんなとき、我々ファンの「願い」は、彼女を慰め、進むべき道を示す星になるかもしれません。もしそうなれるなら、嬉しいなと思います。
それでは、また。