「君、影薄いね」と貴方は言った

ネットの片隅に生きるだらだらしたアラフォーブログ

FGOについて考える

■まえがき
 2018年も12月となり、今年も残すところ、あと僅かである。皆さんはいかがお過ごしだろうか?

 

 ふと今年を振り返ってみると、まったくブログを書いていないことに気がついた。
 そこで、今回は大人気ソーシャルゲーム、『Fate/Grand Order』(以下、FGO)をテーマに、ブログを書いてみようと思う。

 昔ながらの私のファンの方(いない)には、私がFGOについてブログで取り上げることを驚く方もいらっしゃるかもしれない。何故なら、私は常日頃、FGOをボロクソに貶し、怒りを露わにしているからである。

 誤解のないように言っておくが、「私が実は、FGOを内心で高く評価していた」ということは一切ない。私がFGOを今回取り上げたのは、ひとえに、自分にとってどうしようもない無価値なものを再解釈し、そこに全く新しい価値を見出すことが、告白実行委員会を見て以来の私の趣味となっているからである。

 

 ところで、書き上がってから読み返してみたのだが、さっぱり面白い部分がなかったので、年の瀬に暇を持て余して仕方のない方以外はブラウザを閉じることをおすすめしたい。

 

■はじめに

 

 まず最初に、FGOの何について解釈を行っていくのか、明言しておく。
 今回行うのは、FGOのストーリー部分についての解釈である。
 具体的には、3つの章で構成される「幸福論」と、1つの「妄想」でる。
  
 本来であれば、私はこうした解釈・評価を好まない。
 何故ならば、壮大なタペストリーの一部分だけに着目し、「あれが良い」「これがダメ」と評価することは、まったくナンセンスだからである。
 
 現在のFGOのストーリー(ここでは第二部を指す)は、その全体像を把握できる段階にない。この段階で物語の是非を論じたり、あるいは解釈を行うことは、後の物語が明らかになった時、冷静な視点でそれを受け止めることができなくなる可能性がある。
 
 しかしながら、同時に、今、この瞬間しか味わえない楽しみというものもある。
 それは要するに、ヴィーナスの欠けた腕に浪漫を見出すような――つまり、全体像が不明瞭だからこそ行える、無責任な放言や妄想、そういった類の楽しみ方だ。普段であればこうしたことは自分の内側に留めておくのだが、まぁたまには、マッチに灯った揺らめく炎を、ただぼうっと眺めるような、そんな一瞬の儚い楽しみを、文章として書き残しておくのもいいだろう。
 
FGO的『幸福論』・1 ―選び取ること―


 私は、FGO、特に第二部の根底に流れるテーマは、「人の幸せ」にあると思っている。そして、そのテーマに繋がるキーワードのひとつめが、「選び取ること」だ。これは、「自分の世界を生かすために、他者の世界を滅ぼす」という主人公たちの選択もさることながら、「異聞帯」という設定や、そこに暮らす人々からも見て取れる。 

 

 多くの方はご存知だろうが、異聞帯とは「可能性の閉じた歴史」のことを指す。
 つまり、異聞帯とは滅亡という結末以外をもたない、歴史の方向性を選び取れない世界のことである。

 

 また、そこに暮らす人々も、「選べない」不自由な生活を強いられていることが多い。

 

 これまでの異文帯では、そのほとんどが共同体単位で隔絶されており、共同体同士のつながりというものが薄い、あるいは見られなかった。これはつまり、「共同体の中でしか生きられない」ということである。誰もが顔見知りであり、一度ついた評判が常につきまとう――そんな世界から逃げることすら選択できないのは、いかにも不自由で、息苦しい。

 

FGO的『幸福論』・2 ―識ること―

 

 しかし、そうした、私たちから見れば不自由で息苦しい世界に生きる人々が、異聞帯では幸せに生活しているのである。ロシアの住民は幸せとは言えなかったかもしれない。それでも、世界そのものを疑い、否定するような人間は存在しなかった。

 

 考えてみれば当然で、彼らにとってはその世界が「当たり前」であり、それ以外の世界など知りようもないのだ。であれば、たとえそこがどんな世界であったとしても順応して生きる他ない。

 

 逆に、「別の生き方もある」などと教えるほうが、酷なことだろう。何故なら、他者の暮らしを知ることは、他者と自分との「差」を認識することに繋がるからである。その差が、自分にとって優位であるならまだしも、劣位であった場合には、自分が「不幸」であることを知ってしまうことになるからだ。

 

 何も知らず、満足感の中で生きること。
 自分には手に入らないものがあると識り、辛く、苦しい想いをしながら生きること。
 皆様は、どちらの方が「幸せ」だと思うだろうか?
 
FGO的『幸福論』・3 ―幸福論―

 

 FGOは、「例え辛く、苦しい道を歩むことになっても、識ることが重要だ」と説いている。想像でしかないが、FGO的な「幸福」とは、「選択」にあるのだろう。細かな説明が難しいので、一部で揶揄される「マシュの言動」を例にとって説明したい。

 

 FGOの二部二章で、マシュが「人はもっと生きられるのに、何故若くして死ぬことを受け入れるのか?」と異聞帯の住民に問うシーンがある。これは、FGOアンチによく取り上げられる、問題あるシーンのひとつである。

 

 何が問題と言われているのか?

 

 それは、マシュ自身が、「限りある生命しか持たない」キャラクターだったからだ。
 第一部後半、マシュは自らの命に先がないことを悟りつつ、それでも戦いに身を投じた。「永遠に生きられるとしても、わたしは永遠なんて欲しくない」――そう言って、自らの限りある生命を肯定したマシュが、同じく若くして命を散らそうとする存在に対して、「普通はもっと長生きできるのに死ぬなんておかしい」というようなことを言い出した。これに対して、「発言が矛盾しているのでは?」と言われているのだ。

 

 しかし、マシュと北欧の住民とでは、大きく異なる点がある。

 

 それは、北欧の住民が「長く生きられることなど知らず、若くして死ぬことを当然だと受け入れている」のに対して、マシュは自らの死期を悟り、何がしかの手段を講じれば、もう少し自らの命を長らえられると識った上で、”自らの意思で”自らの死を選択しているということである。

 

 繰り返しになるが、ただ「識る」ことが、幸福に繋がるわけではない。だが、「識る」ことで、人は『選択』することが可能になる。その『選択できる』という状態こそが重要であり、どのような選択であろうと、『自らの意思で決定する』ことこそが、人間として正しい、幸福なあり方だと、FGOは言っているのだと私は考える。

 

■ヲタクの妄想

 

 ここからはFGOの第二部ストーリーについて、妄想を述べていく。
 こうした妄想は、大体、次の章がリリースされれば完全に否定されるのが常である。また、そもそも作りて側がそこまで考えていないことも多い。ただ、現時点での「ぼくのかんがえたさいきょうのFGO」を披露するのもたまにはいいかと思い、ここに書き残しておく次第である。

 

 さて、FGOの第二部について個人的にもっとも気になる点といえば、サイコパス主人公である。主人公は、自らの世界を存続させるため、他の世界を滅ぼしていくわけだが、何故か現地民と交流したがる。作中でも指摘されていたが、どうせ滅ぼすのであれば現地民と交流する必要は一切ない。しかし、「相手のことを知って覚えておくことが、滅ぼす相手への礼儀」のような意味不明な理屈で、現地民にたっぷり思い入れを作ってから、その世界を滅ぼすのである。

 

 はっきり言って完全にサイコパスで、全く理解できないわけだが、その謎理論を考える最中、ふとした閃きが頭をよぎった。

 

 それは、「異聞帯は本当に滅びるのか?」ということである。
 
 大前提として、異聞帯は滅びゆく世界である。説明によれば、異聞帯では進化の先が不動のため、「面白みがない」と判断され、宇宙的なエネルギーの供給がストップされ、次第に滅ぶということらしい(正直、全くわからない)。

 

 逆に、汎人類史は様々な可能性を秘めた世界であり、未来は常に不確定、5キロメートルinミストである。どうやら、世界にとってはそちらの方が好ましいらしく、宇宙的なエネルギーはそちらの方に注入されるから100年経っても大丈夫ということらしい(正直、全くわからない)。

 

 異聞帯は、この「宇宙的なエネルギー」に満ち溢れた汎人類宇宙に乗り換えすることで、エネルギー枯渇という「滅び」を回避したいという狙いを持っている。その企てを阻止することは、「滅びゆく宇宙」に異聞帯を送り返すことに他ならず、結果として異聞帯は滅びるわけである。

 

 しかし、
 しかしだ。

 本当に、企みを阻止された異聞帯は滅びるのだろうか?

 

異世界を滅ぼす」というのは、そう言われているだけである。「元々、滅びる予定だった世界なので、元の世界に送り返せば結果として滅びる」――ということなのだろう。だが、誰もそれを見たものはいない。

 

 そして、よく考えてほしいのだが……企みを阻止され、元の世界へ送り返される異聞帯は、しかし、”最初とは決定的に状況が異なっている”のではないだろうか?

 

 異聞帯は、長命な統治者によって支配され、世界の在り方はその統治者によって決定されていた。統治者は不滅であり、故に、世界の在り方は永遠に変わらず、結果として世界に可能性は存在しなかった。

 

 しかし、汎人類史との闘争の結果、”世界の在り方を決定していた統治者は滅び”、その世界の在り方を規定するものはいなくなった。そして、人々は、それまで識ることのなかったものを――音楽を、詩歌を、春の訪れを手に入れた。

 

 元の世界のままであれば、確かに滅びを待つばかりであったろう。
 だが、もはや異聞帯は、元々あった世界とは似ても似つかない世界に変貌した。

 

 そして、覚えているだろうか?
 英霊の存在しなかった世界が、ただ数人の”祈り”によって変容したことを。
 世界は変わる。それも、とても簡単に。


 であるならば――これだけの大きな変化がもたらされれば、決まっていたはずの「滅び」という結論が覆らないと、誰が言えるだろうか?

 

 もちろん、これは放言、妄想である。
 それでも、こうした「if」を考え、そうだったらいいのになと思うことを、私はやめられないのである。

好悪の判断基準と不明なアカウント

 前回の件について、少し考えさせられる出来事があり、もう一度書き記しておく。前半は相変わらずの自分のTwitterでの発言を再構成したもの、思うところがあったことは後半に書き記しておく。

※※※ここからTwitterまとめ※※※

 私の「被害者に選ばれたことは偶然だった」という説に対する苛立ちは、概ね「論理的でない」点にあるのだろう。何らかの理屈があっての結果だったとして、その説を採用する人間の発言からは、その理屈を読み取ることができない。多くの言及において、「被害者は自分だったかもしれない」「俺にはわかるが、これは天災や事故の類」という言い方が見られる。しかし、その直観の理解を他者に納得させる理屈がそこにはない。

「本人が行ってきた行為と、今回の事件は分けて考えるべきなのに、多くの人間は混同している」というような説も多い。しかし、私から見れば、被害者に好意的な見方をしすぎて、事実と私的な感情を混同しているように思える。

 いわゆる「身贔屓な見方」はどんな理知的な人間にも存在することを何度も経験から味わって来たので、そうした言質があればあるほど、私の「対象への見方」が厳しくなっていく。

 但しこれは、私はあくまで「そうであろう」という理屈の通る説の方を好ましく思い、採用しているというだけの話に過ぎない。私は「事実」を採用しているわけではない。「理屈が通る」ことが事実ではない。これは肝に命じたいところである。今のところ、事実は誰にもわからない。

 今の段階で言及できることは、あくまで「リスクは等しくあるけど、行為によってそのリスクが増大する可能性はあるから、自分の行為を省みようね。もうリスク増大させた奴は大人しくするか高すぎる防衛コストを支払おうね」という教訓的な話にしかならず、これはどちらの説を採用していても同じだろう。筋道としては正反対であるのに、辿り着く結論が似通っているのは、面白い現象であると思う。

 今は、加害者が残した数少ない書き込みから、誰もが「このときの加害者の心情を答えよ」という国語の問題をといているようなものなのだろう。そこに答えはない。理屈を通すことはできるが、誰もが間違った答えしか出せない。答えがないのだから。

 私は答えを常に欲しているが、この件に対する今の所の正しい答えは、「答えがない」ことを知り、言及しないことなのだろうと思う。

※※※ここまで※※※

※※※ここからTwitterまとめ・2※※※

「ネットウォッチという行為は、詐欺師から身を護るためのログを残す必要悪の行為である」という説は、確かに正しい。でも、俺が眺めたところ、被害者がしていたのは私見を交えた「扇動」だと思う。

 事実から何を読み取るかは受け手側の問題であって、まとめた事実を私見を交えながら紹介するのは公平性がないと思う。無論、まとめ方にも恣意性は出るが。

※※※ここまで※※※

 閑話休題

 さて、私もまた、ネットで話題になるさまざまな事柄を、興味が向くままに追う、所謂ネットウォッチ的な趣味を持っている。特定の話題が盛り上がったとき、キーワードをTwitterクライアントの検索窓に入れて、さまざまな人の言及を見るのはとても楽しい。

 6月30日、土曜日の朝。私がそんな趣味に興じていると、気になるアカウントを発見することができた。

https://twitter.com/hakobun00/

 このアカウントは、その言動や絡む相手から、加害者のTwitterアカウントだったのではないか? と目されているアカウントらしい。事実はわからないが、確かに見たところ、発言に似たような部分が多く見受けられる。

Twitterで加害者と似たような絡み方をされたことがあるが、あれは本人だったのではないか?」と考察するブログはいくつかある。例えば、下記のような。

かつてTwitterにいた「低能先生」とよく似たアカウント
http://lastline.hatenablog.com/entry/2018/06/27/110625

 ここで言及されているアカウントと名前は違うが、おそらく、先程紹介したアカウントも似たような感じなのではないだろうか? ちなみに、hakobun01というアカウントも持っていたようだが、そちらは凍結済みである。その他、情報の取りまとめは下記を参考にして欲しい。

■「低能先生」の生きているTwitterアカウント
https://anond.hatelabo.jp/20180627145801

 このアカウントを眺めていると、次のようなやり取りを発見することができた。何らかの理由でアカウントが凍結されないとも限らないので、画像で貼り付けておく。



 このやりとりを発見したとき、言葉にできない思いが胸に去来した。
 このアカウントが加害者本人であるかどうか、それはわからない。このやり取りから読み取れることは、「このアカウントの持ち主は、ただ「事実」のみをもって好悪の判断を行っている」ということである。

 好悪の基準、善悪の判断、それを定めるのは難しい。相手が強大であれば、何をしても許されるのか。相手が悪人であれば、どんな批判も許されるのか。「相手が強大である」「相手が悪人である」という判断は、誰が行うのか。

 人間が100%正しい理性を持っているのならば、個々の事例ごとにこうした判断を行っても構わないかもしれない。しかし、そうでない以上、絶対的な「事実」を基準とすることは、私は間違っていると思わない。
 そして、事実を基準として考えたとき、多くの人間が「心情」を考慮して「正しい」と判断している出来事が、実のところ、まったく同じ構造をもつ別の事柄に対して「正しくない」と判断されるような、矛盾する面を持っている場合があることに気づくことがある。

 私の話になるが、私は、こうした矛盾を好まない。なので、私は私の基準に照らし合わせて、「その行為が悪である」と判断した場合は、相手が誰であろうと「それはおかしい」と意見を表明することにしている。

 さて、件のアカウントはこう言っている。「書いてないことは明らかではないよ」、と。確かにその通りである。
 重ねていうが、このアカウントが、加害者のものであるかどうか、それはわからない。しかし、その言動などに類似性が見られるのは、確かなようにも思える。

 そんな彼が、件の事件に関する現状を眺めたとき、どう感じるだろうか。どんな批判的な内容にも、どんな同情的な内容にも、「書かれていないことを勝手に読み取るな」と怒るだろうか?

 正直をいうと、私は彼とは似たような思考を持っているのではないか、と考えている。しかし、そうしたシンパシーも、所詮は「思い込み」に過ぎず、正確な判断を誤らせる原因でしかないのであろう。

 以上。

某件についての不倒城についての所感

 ややこしいな。

 先日起こった痛ましい事件については、特にブログに書くようなことはないのですが、その件に関してしんざきさんのブログで触れている部分に対して、少し思うところあり、書き残しておこうと思います。

hagexさんに「問題」や「責任」を求めようとする全ての言説に反対します。
http://mubou.seesaa.net/article/460211645.html

 前提として、しんざきさんの意見に同調できることは少ないのですが、人生経験や知識・見識の差を考えれば、しんざきさんの方が、私などより正しい意見をお持ちなのだろうと考えています。

 ただ、それはそれとして、私なりに思うところがないこともないので、以下はその感想文ということで……。
 基本的にはTwitterで述べた所感の整理です。

※※※ここから※※※

 しんざきさんとは大体意見が合わないが、それはそれとして被害者が加害者をいじめていた、という認識があるのだとすれば、それは誤解であることは間違いない。

>これがいじめだという人は、「荒らしは通報するな、通報したとしてもそれを周囲と共有するな、それはいじめだ」と言っているのでしょうか?正直意味が分かりません。

 私の見方では、「荒らしは通報するな」ではなくて「キチガイに触れるな」という方が正しい。明らかに「触れたらまずい」とわかる相手に触れたと喧伝したのは、対象の反応を考えれば悪手であると思う(その行為が正当であったとしても)。

 ただ、手足を動かすこと、唇を動かすことが、意図せずして「いじめ」という状況を作り上げてしまうほど、影響力のある人間というのはいる。ネットの名義を使って講演会を開くほどそれに自覚的だったのであれば、自らの行動に対してもう少し思慮を持つべきだっただろう。

>これで殺されるなら、あなたが殺されていたかも知れませんし、私が殺されていたかも知れません。

 これはその通りで、ネット上のどんな発言も、殺意の対象に成り得るという事が判明した事件なのだと思う。
 「ネットは自由だ」という幻想は完全に死に絶え、自由である代わりに、それ以上に過剰に責任を問われる世界であり、「表現すること」は「異常者に目をつけられること」という高いリスクを持つことだという事が浮き彫りになった、特定の層にはまったく受け入れがたい事件であるのだろう。

 被害者に問題や責任を持たせるというよりは、何をすることも自己責任であり、(比喩ではなく)殺される覚悟すら必要だ、という話なのかもしれない。そんな世界は間違っているとか、受け入れ難いという話ではなく、「実のところ、そういう世界だった」という事が判明しただけで、その事実は動かしようがない。であるなら、意識を変革させなければならないのは常に人の方である。

※※※ここまで※※※

※補足(今回の事件は天災や交通事故の類だ、という意見に対して)※

 交通事故だというのなら、交通ルールを100%守っていたと胸を張れるように生きろって言ってるのよな。「信号無視してました」とか「周囲をよく見ないで横断歩道渡ろうとしました」みたいな人間が「これは交通事故! 萎縮すれば移動の自由が失われる!」って言ったって説得力ないでしょってこと。

 ネットウォッチという行為自体がどうこうってわけじゃない。後ろ暗いイメージの言葉だが、観察する対象によって周囲に与える所感が変化する行為だからね。

※※※補足おわり※※※

 冒頭にも書いた通り、私はしんざきさんの意見に同調できないことの方が多いです。だからといって、その考えを改めさせたいとは少しも思いませんし、私自身の意見が変わることもありません。
 思うに、現代のネットでは一定の「無関心」(敢えて、寛容さ、とは表現しません)が必要なのでしょう。

『そういう意見もある、でも私はこう思うし、それは変わらない』

 現代、特にネットをまっとうに利用する層からは、実のところ「致命的に間違った理屈」は出てこないのではないかな、と考えています。だから、どちらが正しい、どちらが間違っている、ということはなく、「誰もが正しい」状態なことが多いのではないでしょうか?(自己正当化に聞こえるので何ともおさまりが悪いですが……)。

 インターネットという、他人との距離を推し量り辛い世界が日常になっている現代では、自己の基盤となる思想を構築しながら、他人に対してはある程度の無関心でいることが、今までより更に求められているのかもしれません。

以上。

古戦場のマルチはどうすべきかとか

 古戦場が属性耐性を導入してから1年近く経ち、どんなプレイヤーでも、そろそろ各属性がきちんと育って来たころだと思います。
 これまではあまり触れてきませんでしたが、「95HLソロ可能だが、ソロするべきか、マルチすべきか」に迷っている方も複数見られましたので、改めて、「古戦場の時速」について触れたいと思います。

 基本的に、古戦場は「その時のもっともLvが高いHLをソロできる人数がどれだけいるか」で勝敗が決まります。
 計算を簡単にするためにごくごく単純な設定でお話しますが、例えば、HL90ソロ6分(マルチ時間で1:22〜3くらい)、HL95ソロ不可の4人がいたとします。HL90の貢献は25万、HL95の貢献は90万とします。

 この4人が1つの95に参戦すると、6分で倒せるとします。この場合、HL90ソロ*4とHL95*1では、HL90ソロ*4の方が時速が早くなります(1000万vs900万)。

 次に、上記の2人が参戦すれば、HL95を10分で倒せるとするならどうでしょうか。2・2で綺麗にわかれた場合、10分で180万=時速1080万で、こちらの方が若干時速が上になります。

 しかし、実際には自発タイミングのずれによる参戦の偏りや、自発待ち・同時自発などによって理想通りにいくことは難しいため、あまり現実的ではありません。

 では、上記の4人が、HL95ソロ12分が可能な場合はどうでしょうか。

 各自がHL95ソロの場合、時速は360万*5=1800万なので、もっとも効率がよくなります(ただし、12分かかるものをソロで処理し続けるのは結構苦痛ですが)。

 問題は、HL95ソロを多人数で分担すべきかどうか? という部分です。

 個人的な所見ですが、HL95ソロ12分かかるプレイヤーが2人参加した場合、6分になるかといわれると、そうはならないと思います。大体、8〜10分前後になる程度ではないでしょうか? 

 ここでは8分になると仮定しますが、その場合は約180万*8=約1440万で、ソロ*4の方が時速が早いことになります。

 最後に、95HLソロ10分が可能な人が1人、90HLソロ8分、95HLソロ不可が3人な場合はどうでしょうか? 後者の3人が95HLに参加した場合、10分程度で倒せると仮定します。また、全員でひとつのマルチに参戦した場合、6分で倒せると仮定します。

 この場合、

95HLソロ+95HL3人の場合は、時速1440万
95HLソロ+90HLソロ*3の場合は、時速約1140万
95HL全員参加の場合は、時速900万

 となります。

 ここからわかることは、「95HLソロできる人は、よっぽど遅くない限り(20分かかるとか)ソロした方がいい」ということです。

 また、上記の仮定はあくまで「マルチの参戦が理想的に行われた場合」であり、団内でのマルチグループ決め、自発巡の決定、グループ内での時間帯合わせなどが必須となります。
 こうした打ち合わせが行われていない場合、基本は「各自でできるHLソロをこなしていく」ことが、もっとも安定し、かつ早めの時速を実現することになります。

 今までは、特にこうしたことに触れてこなかったので、マルチを並べてもらって五月雨式に倒していく方式を取っていましたが、今後は基本的にHLソロできるかどうかで時速を算出し、対戦相手と比較して撤退か継続かを決めていきたいと思います。

人が死ぬということと、人の生き方について

 最初に。
 今回は、私自身の人生観と、死生観の話です。
 私の半生において、身近な親族の4つの「死」と触れ合ったということ、それについてこう感じたという、辛気臭いエピソードしかありません。本来は、これに続くエピソードを書こうと思っていたのですが、あまりに長くなったためです。
 特に、盛り上がったり、話が落ちたりすることはありません。
 
 閑話休題
 
 さて。
 私もいよいよ三十代も半ばになりまして、将来の身の振り方や、親の介護等、人生において生じていくであろう問題について、色々と思いを馳せる年頃に差し掛かってまいりました。私自身の半生を振り返ってみますと、平々凡々な家庭に生まれながらも、まぁ大分、恵まれた人生を送っているのではないかと思います。
 そうした恵まれた平々凡々な人生の中にも、いくつか、人生観に影響を与えるターニングポイントというものは存在します。私にとっては、そのひとつが「人の死」ではないかなと、こうして振り返ってみると思うわけです。
 
 さて、私が最初に身近な人間の死に触れたのは、父親でした。
 この父親というのは、私がいくつだったか、一桁か、二桁の年齢になる前くらいに母親と別居状態になり、それからいつだかに一度会ったきり、二度と会うことはありませんでした。母親がいうには、見栄っ張りな男で、金も持っていないのにやたらとまわりには気前がいい男だったそうです。当時のことを考えると、ここには書くことを憚られるようなエピソードもあり、本当に金がなかったのだと思います。しかし、今になると、確かに私もその血を引いているなと感じる次第です。

 さて、この父親は、確か私が小学校の低学年だったころ、会社をやめて事業を起こそうという話で騙され(単純に失敗しただけだと思いますが)、当時住んでいた一軒家を売る羽目になりました。その後、マンションに引っ越して数年、その後もなんだかんだとあり、父親とは別居することになりました。それから一度だか会った覚えがありますが、十数年、音沙汰がありませんでした。
 次に話を聞いたのは、私が大学を卒業する年のこと。女を作って二児を儲けていた(らしい)父親は、茨城だか群馬だか忘れましたが、そこら辺の工場で働いていたそうです。そこで、不摂生でも祟ったのか、脳梗塞になって倒れ、病院をたらい回しにされた挙句、仙台へと戻ってきました。
 現地の女が身元を引き受けなかったのでしょう、身寄りのない父親の入院費を払ってほしいと、まだ籍を抜いていなかった母親のもとに連絡がきたそうです。母親は、父親のことを嫌っていたのですが、それでも人情のある人だったので、入院費を建て替えてやり、何度も見舞いにもいったそうです。私はといえば、「見舞いにいくか?」と聞かれましたが、「いかない」と答えたきりで、母親もそれに関しては、それ以上、何かいうことはありませんでした。

 さて、その事件を機に、母親は父親と離婚する決意を固めました。冬の寒い日、私も家庭裁判所に趣き、どちらの籍に入るかという手続きをとったのを覚えています。
 元から、父親からは離婚届が送られてきており、相手の女からも「さっさと別れてくれ」と何度も電話を受けていたそうで、母親は確か、「自分は薄情なのかもしれない」という葛藤があったと言っていたように思いますが、私は別に薄情だとか、そういったことは思いませんでした。元から薄皮一枚でしかつながっていなかった縁を、ここで正式に断ち切ったという、ただそれだけのことです。

 ある日、母親が見舞いに行くと、病室に父親はいませんでした。話を聞いたところ、退院していったということだそうです。入院代を建て替えてもらった挙句、見舞いにまできてもらった相手に、退院日も伝えずにいなくなるとは、本当に情もなさすぎて笑ってしまいますが、まぁ、そういう人なのでしょう。
 母親はというと、内心はショックだったのかどうなのか、見た目からは推し量ることができませんでしたが、「もういなかった」ということだけを告げたきり、そのことについてはもう触れませんでした。

 その後、私は就職し、群馬県で働いていました。
 5月頃、母親から急な連絡があり、「そちらに行くから」という話がありました。急にどうしたのかと聞くと、行方をくらました父親は脳梗塞の後遺症を抱えながらもどこぞの工場で働いていたそうなのですが、結局、そこで倒れて亡くなった、その件で行く、ということでした。
 母は、仙台市から送られてきた、遺産相続に関するはがきを持ってきました。私は、父親がどんな資産を持っていたのかは知りませんし、興味もありませんでしたので、遠慮なく「相続を放棄する」と書きました。どう考えても資産など持っていなかったでしょうし、変に欲を出して、父親の抱えていたかもしれない借金を私が抱えるはめになってはかなわないと考えたからです。

 これで、父親に関するエピソードは終わりです。
 その後、父がどこに葬られたのか、現地の女とその二人の子供(姉妹らしい)がどうなったのかもわかりません。ただ、母親がいうには、「あんたが子供を作ればそれでよかったんだが、できなさそうだし、もしあんたが死ぬときは、資産を全てどこかに寄付してからにしろ。そうでないと、遺産が見ず知らずの異母姉妹に行くことになる、それは業腹だ」ということです。
 
 さて、私の死生観にもっとも影響を与えなかった父親の話が大分長くなりました。
 次からは、少し手短にしていきたいと思います。
 
 次に私の周囲で亡くなったのは、母方の祖父でした。
 私は小さい頃、両親が共働きだったため、昼間は祖母の家に預けられておりました。そのため、祖母や祖父、伯父が、私にとって「家族の団らん」だったといえる部分もあります。
 この祖父の死は、特にこれといったエピソードはありませんでした。確か、九十二だったか、三だったか、そのくらいの年齢まで生き、年相応に入院し、危篤になり、亡くなりました。祖母の家の中では、順当に大往生した、といえるのではないかと思います。
 
 母親が、週末ごとに祖父の見舞いにいくので、車を持っていた私も、何回か足となって病院に通いました。私は、祖母宅ではとても可愛がられておりましたので、私がいくと、祖父も心なしか嬉しそうな表情を見せていたように思います。

 祖父の見舞いに通う中で、もっとも印象深いのは、次のような場面です。
 その日も、祖父は病院のベッドで寝ておりました。その頃には、もうずいぶんと痩せており、腕には点滴かなにかの管が、何本もついておりました。声をかけると、祖父は元々意識があったのか、すぐに目を覚まし、私を確認すると、「おお、お前か」と声をかけてくれました。そのとき、祖父は点滴の管が繋がれた腕を、それとはなしに布団の中に隠そうとしたのです。

 私がそのことを母にいうと、「おじいちゃんは、あんたに(腕を)見られたくなかったんだよ」と言いました。私は、そこで価値観を改めることになりました。病床にいる老人が、相応の治療を受けていることについて、私たちは特に何も思わないかもしれません。しかし、それを受けている側は、それを恥とか、見苦しいと思うこともあるのです。
 これは何も、祖父だけの話に限りません。他人から見ればまったく何でもないようなことに対して、非常にコンプレックスを抱えている人は、世の中にはたくさんいます。そう感じる相手に対して、私たちができるのは、「それは恥ずかしくないことだ」と声をかけることではなく、見ないふりをする、なんでもないように接することだなと、私はこのときに感じました。

 祖父が亡くなったのは、東日本大震災の直後でした。元から、意識も朦朧としていた状態でしたが、震災で特に被害を受けたわけでもないのに急逝し、震災自体が、余命のないものをまとめて刈り取っていったのだと思ったことを覚えています。

 次に亡くなったのは、伯父でした。
 これは、私にとっては大変ショックな出来事でした。伯父は、私にとっては父親代わりのような人だったからです。
 伯父が亡くなる当日、私と母は、祖母の家に顔を見せにいっていました。というのも、祖父が亡くなってからほとんど間もない時期で、まだ色々と用事があったからです。祖母の家は、築何十年かわからないような長屋で、正直いって、あまりいい環境とは言えませんでした。その中で、老人ふたりの面倒を見ていた伯父の心境は、いかばかりだったでしょうか。伯父は、「あまり、家に帰りたくない」と周囲に漏らしていたそうで、老々介護という現実が、伯父に大きな負担を強いていたことは想像に難くありません。

 さて、祖母宅を後にした私と母親は、その日、回転寿司を食べて帰りました。
 家に帰宅してから数時間後の、確か21時頃、母から急な電話がありました。
 
「伯父さんが倒れて病院に運ばれたらしい。あんたも来て」
 
 実のところ、伯父はこの少し前にも、内蔵を悪くして倒れ、入院していました。その時は、さほど深刻でなかった(ように見えた)ものですから、正直なところ、この時の私は、「また倒れたの、面倒だな」と思ったことを覚えています。しかし、倒れた、きてくれと言われれば、断るわけにもいきません。私は、身支度を整え、軽い気持ちで病院に向かいました。
 夜の病院は暗く、不気味でしたが、心電図の音は正確に聞こえてきており、私は特に根拠もなく、「大丈夫だ、助かるだろう」という気持ちで、取り乱す母親をなだめ、病室の外でしばらく待っていました。しかし、いくら待てども病室に招き入れられることはなく、何十分か、何時間経過した頃、ようやく医者が姿を見せました。そして、「残念ながら、もう助かる見込みはありません」と告げました。
「どうせ助かるだろう」と思っていた私は、上手く反応できませんでした。通された病室には、まだ脈のある伯父が横たわっていました。母は、伯父のことを「あそこがダメだ、ここがダメだ」とよくいっていたのですが、内心ではとても頼りにしていたので、手を握り、涙ながらに声をかけました。
 私はというと、伯父の手を上手く握ることもできず、声をかけることにもよくわからない抵抗があり、微かに呼びかけるくらいしかできませんでした。このことは、今でも、私の中に大きな後悔として残っています。

 それからほどなくして、伯父は亡くなりました。

 私の中には、いくつもの後悔が残りました。伯父が救急車で運ばれたことを聞いた際に、「面倒だ」と思ってしまったこと。よくわからない抵抗から、きちんと声をかけてあげられなかったこと。亡くなった当日に伯父に会っていた時、一緒に食事でもどうかと声をかけていたなら、この死は避けられたのではないかということ。

 さまざまな後悔も、しかし、時間を巻き戻して「なかったこと」にすることはできません。だからこそ、私は、人と人との関係においては面倒がらず、変に格好をつけず、我慢をしてわだかまりを残すようなことはしない、常に後悔しないような選択をしなければならないと、このときに感じました。

 私も母も、この件のあと、しばらく塞ぎ込むことになりました。私は、仕事をしている間も、葬式の最中も涙が止まらず、しばらく「死」というものに対して極端に恐怖に怯えるようになりました。伯父の死は本当に突然だったもので、自分もいつ、死んでしまうかわからないと怯え、それがパニック障害に繋がる結果になりました。
 母は気持ちが完全に塞ぎ、無気力状態になってしまいました。それでも、なんとか毎日仕事にはいっていましたが、休日などは部屋の掃除もせずに丸一日ぼーっとしてすごしていたようです。母は、毎週、墓参りにいくようになりました。私も、それに付き合って何度も墓に足を運びました。数ヶ月もした頃には、私の中ではようやく整理がついてきたのですが、母の中ではまだ気持ちの整理がつかなかったようで、毎週の墓参りは1年近く続きました。墓参りとは、死んだ人のためではなく、生きている人間の気持ちの整理をするために行うものなのだということ、その必要性を、このときようやく理解しました。

 最後に亡くなったのは、祖母です。
 伯父がいなくなってしまったので、祖母は、叔母の家に引き取られました。それから数年、叔母の家で生活していました。私も、墓参りのたびに叔母の家を訪れました。祖母は、祖父と伯父を立て続けに亡くし、しばらくふさぎ込んでいましたが、元来、精神の太い人でしたので、やがて普通に振る舞うようになりました。それでも、伯父のことを話すときには声を震わせていたので、親より先に死ぬということは、本当に親不孝なことだなと、祖母を見ていて感じました。

 さて、祖母は以前、脳梗塞を起こして入院したことがあるのですが、その際に、「今までにも何度か脳梗塞を起こしている」と診断されるなど、やたらと身体が頑丈な人でした。それでも、寄る年波には勝てず、体調が悪くなり、入院することになりました。検査の結果、祖母は大腸がんだということが判明しました。
 この知らせは私たちにとってもショックなものでした。しかし実際のところ、高齢の大腸がんは進行が極端に遅く、大腸がんとは別に、祖母は腸から謎の出血が止まらない状態だったため、がんではなく、あと2〜3年の間に、失血の方で亡くなるだろう、という診断でした。治療の施しようもないので、祖母は退院することになりました。
 入院した祖母は、自分の余命がいよいよだと思い込み、すっかり弱ってしまっていました。「この病院から、もう出られないだろう」と悲観的になり、ずいぶん元気をなくしてしまっていました。しかし、退院が決まったことを告げると目に見えて元気になり、笑顔も浮かべるようになりました。
 
 祖母が退院してから数日後、私は本を買いました。
 祖母は池波正太郎の本が好きだったのですが、あまり蔵書がなかったため、叔母が図書館に借りにいったりしていました。そこで、私は池波正太郎の時代小説を2冊買い、母に届けてもらいました。本当は自分で持っていって顔を見せた方が、祖母が喜ぶことはわかっていたのですが、その時期は仕事が忙しかったこと、余命2〜3年ならば、すぐにまた顔を見せる機会もあるだろうと思っていたのです。
 しかし、それからほどなくして、祖母は亡くなりました。死因は、大腸がんでも失血死でもなく、心臓でした。祖母はほぼ寝たきりだったため、血栓ができていたのでしょう。その血栓が原因で、「気持ち悪い」といったまま意識不明になり、そのまま亡くなってしまいました。私は、伯父のときの後悔をいかすことができず、また後悔をすることになりました。
 あとから聞いたところによると、祖母は私が贈った本を、何度も何度も繰り返し読んでいたそうです。それを聞き、ああ、退院してから一度くらい、顔を見せておくべきだったなという想いが強まり、今でもうっすらと涙が浮かんでしまいます。

 これらの4つの「死」にまつわるエピソードは、私の死生観、人生観に、大きな爪痕を残しました。
 決して後悔しないよう、自分に正直に生きること。他人に対して、正直に、真摯に接すること。面倒だと思う気持ちを捨て、相手を慮り、恥や外聞を気にせずに、声をあげるときは声をあげ、心配するときは心配し、時に怒り、悲しみ、喜び、楽しむこと。そうした人生において「素直」に生きることが、取り返しのつかない後悔を産まない生き方なのだ、そういう風に生きるべきなのだと、今の私は考えている次第です。

 本来であれば、こうしたエピソードを詳細にネットに書くことは、憚られることなのかもしれません。
 実際のところ、私も、何度も書こうと思い、そのたびに手を止めてきました。何か、死者に対する冒涜に繋がるような、そういう気持ちがあったからです。しかし、いずれ私の記憶も曖昧になり、その時の気持ちも消えていってしまうのだろうと思うと、こうして書き残しておくことで、その時の気持ちや、その人のことを忘れずにいられるのではないかと思い、こうして筆を執りました。
 
 特に何の面白みもない私の記録ではありますが、もしも、誰かが何かを考える切っ掛けになれば幸いです。

ガチャ論・後編

 さて、ガチャ論後編である。
 前編はこちら。

ガチャ論 - 「君、影薄いね」と貴方は言った

 

 前編は実践的な方面での話になったので、後編は「精神的な面でのガチャとの接し方」に触れていきたいと思う。

 

■『人生観』を構築するガチャ
 ガチャとは、人生そのものである。

 人はガチャを回す前、その結果に夢と希望を抱く。しかし、回したあとには、極少数の成功したものと、多くの夢破れたものしか、そこにはいない。

 人生は期待したとおりにならず、いくら努力したとしても、望んだ結果を得られることは稀である。

 ガチャは、そうした人生の無常を教えてくれる。

 

 ただ漫然と流され、人生の岐路で曖昧な決断を下した人間に、それを後悔する資格があるだろうか?

 同様に、ガチャをその場の衝動で回すことを決めた人間が、結果を見てから「回さなければ良かった」と後悔する資格があるだろうか?
 

 だからこそ、ガチャを回すときには計画を立て、備えなければならない。

 そして、望んだ結果を得られなかったとしても、「そういうこともある」と、その結果を受け入れる心構えをしておかなければならない。
 
 しかし、何事にも例外はある。

 それは、””の力である。

 ””を持っているやつが”強い”。ガチャは、そうした人生においてもっとも大切なことも教えてくれる。

 

■精神修養としてのガチャ

 ガチャにつきものなのが、「ガチャを引きたいという衝動」と、「他人のガチャ結果を羨む心」である。
 

 前者について、この衝動は抗い難く、定期的に襲ってくる。まさに麻薬のようなものである。

 恐らく、イエス・キリストブッダといった聖人も、当時ガチャがあったなら、悟りを開くのが10年は遅れたであろうことは想像に難くない。

 しかし、何回も触れているとおり、このような刹那的な衝動に身を任せていては、本当に望む結果は得られない。

 この衝動を飼いならすことが、ガチャと付き合う上では必須となってくる。

 

 後者について、これもまた、ガチャと付き合う以上、避けては通れない感情である。

 しかし、当然だが、いくら羨んだところで望んだものが手に入るわけではない。

 人は皆、孤独である。

 他人は他人、自分は自分と、ドライに割り切る考え方を養っていかなければならない。

 他人を羨み、身の丈を超えて行動するものに待つのが破滅であるのは、ガチャも人生も同じである。

 

 思い返せば子供の頃、友達の持っているおもちゃやゲームを羨んで親にねだった時、こう言われたことはないだろうか?

 

「よそはよそ、うちはうち」

 

 当時は、「体よく断るためにそれっぽいことを言いやがって」と思ったものであるが、今こうして考えてみると、まさしくそれは真理である。

 親は偉大であるということも、ガチャは教えてくれる。

 

■自己満足を得るためのガチャ

 ガチャには、様々な癖がある。

 これは、より深くいえば、「ソーシャルゲーム」というゲーム自体に、いわゆる「意図しない裏技」のような挙動がある場合がある、ということである。

 

 私がこれを知ったのは、今はもうスマホゲーとしては終了してしまった「拡散性ミリオンアーサー」というゲームをプレイしているときのことだ。

 拡散性ミリオンアーサー(以降、拡散性MA)は、異様にテーブル設定がガバガバで、数々の「検証」が容易に行えるゲームであった。

 

 例えば、拡散性MAのメインコンテンツは、「強敵」と呼ばれる敵をマルチバトルで倒すことだ。

 強敵を倒すと目玉カードや、スタミナ回復アイテムなどがドロップする。自分が発見した強敵を倒すとレベルが1ずつあがっていき、段々強くなっていく仕様だった。

 拡散性MAは、その強敵が落とすアイテムのドロップテーブルが「自分の強敵レベル」で固定されているらしく、特定のレベル帯に固定したまま他人の救援に入ることで、高確率でスタミナ回復アイテムや目玉カードをドロップさせることができた

 

 また、強敵に出会うためにはとにかくマップを歩き回らなければならないのだが、普通にやっていてはスタミナを全て使っても強敵に合うことが難しかった。

 しかし、マップに入ってから約3秒で進むボタン(というか、画面をタッチすれば進んだような気がするが)を押した場合、高確率で強敵に遭遇するという仕様になっており、これを知っているのと知らないのとでは、イベントで消費する回復アイテムの数がまったく違った。

 

 更に、歩きまわっているとランダムでスタミナが回復したりする仕様だったのだが、これも強敵と同様に特定タイミングでボタンを押すと高確率で狙うことができたため、回復アイテムを使わずともスタミナを全回復させることすら容易だった。

 

 ガチャも同様で、SSRは特定の時間帯にしか出現しない、という検証結果が、有志たちにより導き出されていた。

 後に、拡散性MAと全く同じシステムを採用したTKSSIS(伏せ字)というゲームにおいて、ガチャにフィーバータイムがあることが確認されており、恐らくこうしたシステムを応用したものだと考えられる。

 

 また、某ゲームではかつて、ガチャを引く際に「正確な時計を用意しろ」という格言が存在しており、これもまた、高確率で高レアカードを引くための方策であった(これは、今では対策を取られてしまって不可能である)。

 

 このように、人間が作るものである以上、「何がしかの偏り」や「穴」というものが存在することがある。

 こうした偏りを発見し、仮説の組み立て>実地検証>成果>結論という流れを楽しむことが、ガチャは可能なのである。

 

 ただし、注意しなくてはならないのが、こうした検証結果は、どこまでいっても「オカルト」であるということである。

 ガチャの仕組みが正確に解明されていない以上、どんな説であろうと「オカルト」でしかない。

 オカルトをさも「絶対にこれが正解」と主張したり、「知らないほうがおかしい」というような言い方をするのは間違っている。そのことには十分留意したい。

 

 しかし、冷静になって振り返ってみると、本当に楽しみなのだろうか?

 まさに自己満足としか言いようがないが、そういう楽しみ方もあるという一例として挙げておく。

 

■最後に
 ガチャとは、コミュニケーションのツールに成り得る手段である。

 しかし、その本質は「孤独」である。

 ガチャを回す決断をしたのは己自身であり、その結果と向き合うのもまた、常に己独りである。
 
 もちろん、これはガチャという娯楽に接する上での心構えのひとつだ。

 それぞれに、ガチャに対する独自のスタンスがあるだろう。

 それを構築する際に、この文章が賢明なる諸氏の一助となれば幸いである。

ガチャ論・前編

■序文
 近年では、いわゆる「ソーシャルゲーム」と呼ばれる分野のゲームも一定の立場を得てきた。かつては蛇蝎のごとく嫌われてきた「ガチャ」という集金システムにも、さほど抵抗感を示さない人間が増えてきたように見受けられる。

 

 ガチャに娯楽性があるのは確かである。しかし、その娯楽性は、ただ単純に享受してよいものではないと私は考える。

 

 私はここで、「ガチャ」という娯楽のいろいろな側面に着目しつつ、各自が「どういう立場でガチャに接するべきか?」を考える手助けになるものを提示したいと考え、筆をとる次第である。

 

■コミュニケーションとしてのガチャ

 ソーシャルゲームの隆盛はめざましく、現代のオタクシーンにおいては、人気のソーシャルゲームは、欠かせない話題のひとつになっている。かつてのドラマや歌謡曲が担っていた「共通の話題」という役割を、現代ではソーシャルゲームが担っているのであろう。

 

 その中で、おそらく最も普遍的に、万人が盛り上がれる話題が「ガチャ」である。なぜなら、シナリオやシステムに関しての感じ方は人それぞれだが、ガチャは「金銭を投入して、結果が返ってくる」という単純な仕組みであり、そこに各自の感想が入り込む余地が少ないからである。「飲み会の席で、同時にガチャを回す」などのコミュニケーションも、近年では散見されることが多くなってきた。

 

 こうしたコミュニケーションは一概に否定できるものではない。「ガチャ」という娯楽がエンターテイメント性を内包していることは事実であり、場の盛り上げに一役買うことがあることも、また事実である。

 

 振り返って考えてみれば、「酒の席を盛り上げる行為」というのは、いつの時代も必要とされてきた。それは、例えば「かくし芸」であったり、「一気飲みコール」といったものである。しかし、そう考えた時、「ガチャ」という盛り上がりの手段は、コストパフォーマンスが極端に悪いということには、十分注意しなくてはならない。

 

 また、「かくし芸」や「一気飲みコール」という文化は、現代では多くの人間が「悪い文化」だと考えていることにも、留意が必要である。

 例えば、「アルコール・ハラスメント」という言葉がある。これは、飲酒の強要などを含む迷惑行為の総称だ。たとえ場を盛り上げるためであったとしても、本人の意思にそぐわない行為の強制は、ハラスメント(いやがらせ・いじめ)なのである。

 

 当然ながら、これは飲み会の席でのガチャにも当てはまる。気が進まない相手に対し、ガチャを回させることを半ば強要するのは「ガチャハラスメント」であり、迷惑行為だという認識は、広く持たれなければならない。

 

 同時に、気が進まない側も、その場の雰囲気に流されず、きちんと断る勇気をもたなければならない。なぜなら、「ガチャを回す」と決断した以上は、それは自己責任になるからである。心の何処かで「回してもいいか」と考えているならばともかく、本当に気が進まないのであれば、きちんと断るべきである。

 

 そのコミュニティの中で、「ガチャを回すことを断っても構わない」というコンセンサスをとっていくことが、良好な関係を構築していく上で重要になってくるだろう。

 

■「計画性を養う練習」としてのガチャ
 ガチャは、一般的には「射幸性を煽るもの」と認知されている。確かに、ガチャは「出るか、出ないか」の2つしか結論がなく、少額で目的のものを手に入れる者もいれば、大金を投じても手に入れられない者もいる。少額で目的のものを手に入れられた者は、その快感が忘れられず、ふとした瞬間に「ガチャを回したい」という衝動に襲われることになる。

 

 しかし、ガチャが単純に「射幸性を煽るもの」だったのは、過去の話である。現代のガチャは、「計画性を養うもの」へと変化した。
 これを変化させたのは、「詫び石」と「天井」の概念である。
 
「詫び石」とは、定期的に配布されるゲーム内通貨のことである。
 現代のソーシャルゲームでは、何らかのクエストを初回にクリアした際や、緊急メンテナンスが行われた際、あるいは、リリース○周年などの記念日に、ゲーム内で金銭の代わりに使用できるゲーム内通貨を配布するのが一般的である。ここでは、それらを総称して「詫び石」と呼ぶ。
 
「天井」とは、「その設定された回数ぶん、ガチャ回せば、必ず目的の物が手に入る」と定められた回数のことを呼ぶ。

 今もっとも「天井」という言葉が使われているであろうグランブルーファンタジーにおいては、天井は300回、9万円分に設定されている。
 9万円はかなりの大金である。いくら目的のものを手に入れるためとはいえ、庶民が簡単に払える額ではない。

 

 では、どうするか?
 それは、「ゲームに対する投資計画」を立てるのである。

 

 一ヶ月間でもらえる詫び石の大体の数を計算し、目玉となるカードのリリース時期を予測し、その間までに詫び石がどれくらい貯まるかを計算する。詫び石の数が天井まで届かない場合、その差額をどう捻出するか? を考え、現実の予定を計画していく。それが、ソーシャルゲームで出費を抑えるためのテクニックだ。

 

 では、詫び石が少なく、天井が設定されていないゲームをプレイしている場合はどうするか? それは、「そんなゲームは今すぐやめる」が正解であろう。

 

 ここで問題になってくるのは、先に触れたような「衝動」である。
「ガチャを引きたい」という欲求は、厄介なことに非常に強いものである。しかし、それに抗えないほどではないというのが、個人的な感想だ。

 ガチャ欲とは、瞬間的な欲求である。そのため、それを押さえ込む手段を用意しておく(例えば、「軽く運動をする」「寝る」など)ことが、ガチャ欲に抵抗するためには必要になってくる。また、事前に計画を立てておくも、衝動的なガチャ欲を押さえ込むのに有効である。

 

 重ねていうが、ガチャはコストパフォーマンスの悪い娯楽である。
 そのため、無秩序なガチャは生活に打撃を与え、QoLを著しく下げる危険性を孕んでいる。

 そのことをしっかり受け止め、無秩序なガチャではなく、計画的な投資を行うことが、ソシャゲをプレイする上では求められる。
 

後編に続く

ガチャ論・後編 - 「君、影薄いね」と貴方は言った