「君、影薄いね」と貴方は言った

ネットの片隅に生きるだらだらしたアラフォーブログ

『怒ってください』(のーぼーだーとかいう企画のこと)

 つい先日、Twitterの闇に触れてアカウントをサスペンドされた某カリスマコーラerの主催する「No Border」(http://trackback.blogsys.jp/livedoor/noborder12/5443310)という企画がありまして、これは同じお題で12人の企画参加者がブログを書くという、多様性溢れる記事が読めそうでそうでもなさそうな、そんな企画があったりなかったり。僕は参加者ではないのですが。参加者ではないのですが、暇なので書いてみようかなーなどと思って、会社の就業時間中に書きはじめました。
 仕事しろよ。はい。
 まぁ、その第一回目のお題が「怒ってください」なんだそうです。出題者はまなめさんです。まなめさんらしい、何とも具体性のないお題だと思います。
 具体性のないというのはどういう風にも解釈して広げる事が出来るということで、この一見掴みどころのないお題をどう捉えてどういうブログを書くか、それは回答者次第でいかようにもなるということなんですね。多分、天邪鬼的な捉え方をした記事が読めればいいナーとか思ってるんじゃないでしょうか。
 ともあれ、そんな天邪鬼気質のまなめさんの思惑はどうでもよくて、「怒ってください」。「怒ってください」のことです。
 まぁあの、人間誰でも怒られたくないと思います。進んで「あー俺怒られたいわー何もしてないけど土下座(げざ)りたいわー」とか言う人はなかなかいないと思います。いや、中にはいるかもしれないけど、少なくとも俺は遠慮したい。
 だって嫌だもの。ねちねち嫌味言われたり、怒鳴られたり。自分が悪いとわかっていてもイライラするし気分も落ち込むし。いい事とか少しもない。日常に怒りなんて必要ないぜ皆なぁなぁで生きようよ。ラブ&ピース!
 大体、そんな気分で毎日生きてます。
 ただ、それとは別にして、俺は「怒ってくれよ……」と思うことがあるんですね。いや、そういう趣味があるわけじゃなくて。罵って! 早く! とか思ってるわけじゃなくて。
 なんでかっていうと、俺はすぐ調子に乗るんですよ。本当、あの、Twitterとかで普段ボクをご覧になられてる方はよくわかると思うんですが、本当すぐ調子に乗る。あれでもかなり気を使ってる方なんですが、多分そういうと「え?」という突っ込みが多々入る事は必死なアレ。
 仕事でもそうで、大体、「怒られて伸びるタイプ」と「放任主義で伸びるタイプ」がいると思うんですが、ボクはおそらく前者です。怒られないと途中までは調子が良く進むんだけど、いつの間にか調子に乗りすぎてとんでもないミスをする。
 で、怒られるんですが、その怒られ方が半端じゃない。そもそも、ミスのでかさも半端じゃない。普段怒られないもんだからいい加減にやってる分、それが発覚した時がでかい。即信用問題。しかも芋づる式に過去の適当な仕事がバレて連鎖激怒。怒りのパワーで一撃を食らわされて、俺のガラスハートとか即ブロークン。
 Twitterなんかでも、相手の限度を知らずに突っ込みすぎて逆鱗に触れ、即ブロックで「えっ?」となった事など数知れず。 
 そんな時思うわけです。
「怒ってくれよ……」、と。
 「怒り」というのは、本来は警告だと思うわけです。「それはやりすぎだぞ」とか、「それ以上いい加減続けてると今に酷い目にあうぞ」とか、そういう、相手が踏み止まってくれる事を期待しての警告。道路標識みたいな。
 勿論、「この先急カーブ注意」なんて標識を大して気にせずに突っ走る人もいますが、そういうのは大抵、崖下にまっさかさまに落ちます。ハイ、ボクですね。
 あーこいつ仕事適当にやってんなーなんてのは、本来はちょっとみてればわかるわけです。なので、その時は大した問題が発生してなくても、ちょっと呼びつけて怒る(というよりは、こういう時は注意ですかね)というのは、効果的だと思うわけです。そうする事によって、「自分は監視されている」「好き勝手出来ない」と相手に思わせる事が出来る。
 勿論、怒られた方はいい気はしないから不機嫌になるだろうし、自分に対する悪感情も溜まってしまうかもしれないけれども、でもそれは普段のやり取りで十分カバーできる範囲だと思います。
 人間関係にしてもそうで、特にネット上では「この人ちょっと調子乗りすぎだな」とか「こいつ@飛ばすのヘッタクソだな」という絡み方する人って結構います。まぁ、そういう場合は大体、空気悪くしたくないなーみたいな思惑もあって、絡まれてる方は大人な対応をしてたりするんですけども、それが相手をエスカレートさせてしまうんですね。
 そうすると、いつの日か急に相手の許容量を超えてしまうんですけど、それで相手がどうするかというと、何も言わずに即ブロック。それでブロック先の事は忘れて他の人と仲良くおしゃべり。ブロックされた方はというと、突然の出来事でショックのあまりネットストーカー化という、現代社会の希薄で異様な関係性の一端が顕在化するわけです。
 恐るべきネット社会の実像というタイトルでNHK辺りで特集されそうです。してもいいですよ、NHKさん(調子に乗るな)。
 それもこれも、「空気を悪くしたくない」みたいな過剰な気遣いと、「まぁいざとなりゃあこいつ切っちまえばいいや」という、ネット社会特有の割り切りというか、まぁ、これは面倒臭くなってきたからどうでもいいや。
 ともあれ、事前に「怒る」という警告さえ発せられていれば、そういった悲劇は起こらないはずなんですね。
 だから「怒ってくれよ」と思うし、ボクも積極的に「怒ってみせる」ことは仕事で取引先相手にも、Twitterのフォロワーにも、よくしています。いや、Twitterではそんなにしてないかも。どうかな。
 ともあれ、実際にそんなに怒っていなくても、「怒っている」というポーズを見せる事は重要で、しんざきさんのY先生の話じゃないですけど、「この仕事は適当にやったらダメなんだ」とか、「この相手はこういう弄り方されるのは嫌なんだ」とか、そういう線引きを示すのに「怒る」ことは効果的な手段だと思います。そして、線引きを示すことによって、責任を相手に押し付ける事が出来る。これは仕事上ではかなり重要です!
 なんといっても、もう既に「怒る」ことによってラインを見せているわけですから、そこを踏み超えたならそれはもう相手の責任なわけです。わかっててやったわけですから、どんな事でも要求出来ます。これは本当重要。出来れば責任なんて背負わないで生きていきたいですからね。無責任万歳!
 閑話休題
 いつの間にか「怒ってください」から「怒る」ことについてシフトしてしまっていましたが、まぁ、要するに、霧の中を爆走したくないので、道を示してください、ということです。その為に、大きな失敗してからドカンと怒られるよりは、普段から釘を刺すように小さく怒って欲しいと、そう思っている、ということでした。