漆黒のヴィランズ、個人的ポイント(いいも悪いも)
当然ですが、ネタバレを含みます。
↓↓↓↓ネタバレ↓↓↓↓
■テーマ
何をおいてもこれ。
暗黒ジョブクエで提示されるのは、「誰かに手を差し伸べても、誰かから手を差し伸べられることはない、英雄の「個」としての苦悩」。そして、「常に前に進み続けることで、道を同じくしていた人たちさえもいつしか置き去りにしてしまう英雄の孤独」。
漆黒はこうしたテーマを引き継いでおり、そのアンサーを提示する。即ち、「英雄が苦悩し、立ち止まったとき、誰が英雄を助けるか?」という答えだ。
誰かに手を差し伸べ続けた英雄は、ただ利用されただけなのか?
常に先頭を歩き続ける英雄の隣には、誰も並び立つことはできない。なら、英雄は孤独なのか?
答えは――否だ。
英雄が手を差し伸べる姿は、確かに、人々の胸に希望として刻まれた。
確かに、力なき人々は、英雄の隣に並び立つことはできないかもしれない。
だが、それでも。
英雄に希望を見出した人々は、その場で立ち止まることはしなかったのだ。
人によって、歩く速度に差はあったとしても。彼らは確かに足を止めることなく歩き続け――そして、英雄が苦悩し、立ち止まったとき、その背に追いつき、彼(彼女)を支え、助け、背中を押してくれたのである。
英雄は決して孤独ではなかった。
他ならぬ英雄自身が、暗黒ジョブクエ70で言っている。
例え、人々の先を行くことで、いつしか周囲に誰もいなくなったとしても。
それでも、振り返ればきっと、孤独ではない。
心につれてきたものがある……と。
■タンクロールクエ
この「道が別れたとしても、英雄は決して孤独ではない」というテーマは、タンクロールクエや暗黒ジョブ70後のシドゥルグの台詞でも表現されている。
ロールクエでは、最後の別れ際、「きっと一生、お前との冒険を忘れない」(意訳)という台詞で。
暗黒ジョブ70では、最後の「お前には感謝しているから、今回も力になってやりたいと思ったんだ」(意訳)という台詞で。
■ミストが使っていたのは創造魔法?
今回、アシエン種(?)が創造魔法と呼ばれるものを使うことが明かされたが、実は暗黒ジョブクエでも似たような現象を起こす人物がいる。それは、暗黒ジョブクエ70のキーキャラであるミストだ。
ミストは、「その人が望む人物」を、ヒカセンのエーテルを使うことで作ることが出来た。これは、一種の創造魔法であろう。
そもそも、ミスト自身がヒカセンのエーテルから作られた「ヒカセンがもう一度会いたかった誰か」である。ともすればフレイも「ヒカセンが望む、ヒカセンの理解者」だったのかもしれない。これらを生み出したヒカセンは、つまり「(無意識だが)創造魔法が使える」ということである。
そう考えると、アシエン種(?)に関する設定は、少なくともイシュガルドの時点でかなり詳細に存在したのであろう(まぁ当然といえば当然だが)。
■エメトセルクの名前
冒険の途中でエメトセルクに話しかけられるタイミングが数度あり、そのときに話しかけると重要な情報を教えてくれるというのは、結構有名な話である。
その会話の中で、「エメトセルクの名前は?」と問いかける選択肢がある。
その時、エメトセルクは「いつかときが来て、お前はそれを知るかもしれないし、知らないまま終わるかも……だ」と返答する。
これはまだ、エメトセルクとヒカセンたちが、歩み寄れる可能性があったときの他愛もない会話。
そのときがきたら、もしかしたらエメトセルクの、本当の名前を知ることになるのかもしれない……からの、
→「己が名を、ハーデス!」
この流れ、あまりにも切ない。もう決して歩み寄れはしない、だからこそ、かつて問うた名前を知ることになる。そこにあるのは、強い決別の意思……という流れ。好き。
■漆黒のヴィランズは誰だったのか?
漆黒のヴィランズとは、誰だったのか? 個人的な見解ではあるが、それはヒカセンであり、アシエンでもある。
エメトセルクが言う通り、最後の戦いは、すべての世界の歴史の分岐点だった。勝った方の歴史が本流となり、負けた方はその流れに逆らうもの=ヴィランズになるというわけである。
今回、エメトセルクとヒカセンは対象の位置にいた。
光の加護を受けながらも、闇を取り戻す闇の戦士として、第一世界の英雄となったヒカセン。彼(彼女)は人々の未来を守るため、常に時代の先頭で戦い、道を切り開いてきた。
対して、エメトセルクは闇の加護を受けるアシエンとして、かつていた人々のために戦い続けている存在である。「過去」のために戦うアシエンは、闇という「動」を司る力を持ちながら、実は未来ではなく過去を想い続ける停滞した存在である。
同じように、守るべき人々のために戦いながら、決定的に違う対称的な二人。
その二人の戦いの結果、誰がヴィランズとなったのかは、プレイヤーがご存知の通りである。
■ヴィランズのモチーフとなったFF作品
ナバスアレンを目指す部分はFF10、生き残った人類が箱庭で細々と生きているところや、荒廃した世界を旅する部分はFF13をモチーフにしていたのかなと。FF8要素は思ったより感じなかったけど、確かミンフィリア(偽)のシーンのBGMとしてアルテミシアのテーマがかかっていたような気がするので(曖昧)、14的な解釈ではミンフィリア(元祖)の在り方が8の魔女的なものだということなのかな?
ちなみに、FFWikiでは魔女とは次のようなものらしい。
>古来から途絶えることなく存在する、特別な力を継承した女性で、真の魔法を使える唯一の存在。
>永遠の命を持つわけではなく、寿命は人間と同程度だが、誰かに魔女の力を継承させないと死ぬことができない。
>魔女の力は、女性なら誰でもが継承できるというわけではなく、魔女の巨大な力を宿すためのキャパシティと相性を兼ね備えた者に限られる。
>また魔女の力は、両者の意思とは関係なく勝手に継承されてしまう場合(イデア⇒リノア)と、引き受ける側の意思で継承される場合(アルティミシア⇒イデアやアデル⇒リノア)がある。
ちなみに、FF8のラスボスである魔女アルテミシアは「時間圧縮」を計画している。これは、
>なぞ。どのような状態になるか不明。あらゆる「いま」が圧縮されてしまうと考えられている。全ての時代の魔女の力が合わさって魔女はとてつもない力を得ることが予想される。それに対して、普通の人間がどうなるのかは分からない。
今回語られた、アシエンの「次元圧縮」も似たような目的を持っていたことを考えると、アシエンの在り方というものもFF8リスペクトの一部であるのかもしれない。
■ヒカセン
ヤミセンの魂が合わさることで光のゲロが収まるのは、魂の統合によって魂の器の許容量が高まったからだろうか?
魂の統合を果たすということは、つまり「霊災」によって引き起こされる人類のステップアップと同義だと思われる。第八霊災が未然に防がれた今、アシエン種(?)に最も近い人間はヒカセンになったのだろうか?
■ミンフィリア(リーン)
同様に、リーンもまた、魂の統合を果たした状態なのだろうか? 本来、魂の統合は原初世界の住人以外が行われることがない。しかし、第一世界の住人として統合が行われたリーンという存在は、あの世界においては特異点なのかもしれない。
■マップとか
今回はどことなく「エオルゼアの各地形を想起させる地形があってよかったね。と思っていたら、実際、各地域が元になっているらしい。ただ、これは順序が逆で、霊災によって地形が大きく変化したのが原初世界であり、「元々の地形」には、第一世界の方が近いのであろう。
■79IDのルービックキューブ
お前メギド72で見たわ!!
■急にクリタワの音楽がきたので
すき
■オタクだから
システム的な部分を演出に絡められると無条件でしゅき……となってしまう。
■「稀人よ!」
デーデンデデーンデーンデデーンデーン(BGM)
すき
待ち時間15分
きらい
■「アシエンのことを知ったほうがいいと思う」
なぜなら、彼女は兵器ではないからだ。
FGOだと「何だこいつサイコパスか?」と思った流れが、妙にスマートに受け入れられることについて、一考の余地があると思う。
■IDが死ぬほどクソ
最高のシナリオ、最高のBGMから繰り出されるクソみてぇなID。これ考えたやつ誰? 反省しろ。
■ラストバトルのアルフィノとエメとセルクの問答
以上。