「君、影薄いね」と貴方は言った

ネットの片隅に生きるだらだらしたアラフォーブログ

ヴイアラ10月備忘録

 いつもの月次評価です。

 といっても、ヴイアラの配信がスタートして約半年、ここまで来ると候補生たちにもそれぞれ目指すべき場所のようなものが生まれてきたのか、外野がどうのこうのということもなくなってきたように思います。

 ただ、せっかくたびたび記録を残してきましたから、私自身がヴイアラをその時々でどう見ていたのかを振り返るためにも、書き残しておくことにしました。

 

ヴイアラとの関わり方について:

 9月でヴイアラへのボルテージが増加しすぎて、クールダウンの必要を感じました。 

 また、今まではそれなりに「ネガティブな考え方や言葉を使わず、私が発信する情報を糧に、候補生が自分自身を振り返り、何かしら気づきを得る手伝いができれば」と考えてブログを書くなり、Xでpostするなりしてきましたが、もう少し思考を消費者寄りにしようと考えています。

 何故なら、彼女たちが目指しているエンターテイメントの世界は、もっとドライなものだからです。消費者は、アイドルのパフォーマンスやステージを評価する時、アイドルそれぞれが持つ事情を考慮しません。出されたもの、そのクオリティだけが全てです。

 正直なところ、半年ほどヴイアラを追っているわけで、候補生には少なからず肩入れしてしまっています。だからこそ、意識的に「冷たい目線」を持たなければ、候補生たちのどんな行動にも、際限ない肯定を与えてしまう。個人的には、それは候補生のためにならないと考えています。

 

「アイドルらしい歌い方」について:

 今まで、私自身、定義づけ出来ずにこの言葉を使っていましたが、レトラがきっかけでこの件について考え、自分なりに答えを出したので、メモ代わりに書いておきたいと思います。

「アイドルらしい歌い方」とは何なのか? と考えた時、それは歌の技巧ではなく、歌を通して「本人」(ここで言う本人とは、本人そのものではなく、「作られたイメージ」も含みます)が見えるかどうか? ではないかと思います。

 説明が難しいですが、つまり、「アイドルの歌」はあくまで「アイドル」を鑑賞する手段のひとつなのです。例えば芸術作品が、制作された時代背景や作者の半生を知ることで、より深い意味を持つことと一緒です。ファンは「アイドル」というぐう像を鑑賞する手段として「アイドルの歌」を聞くわけです。この歌がいかに素晴らしい技巧に優れたものであったとしても、そこに「歌い手の想い」や「人生」を感じないなら、それは「アイドルらしくない歌」ということになるというのが個人的な見解です。

 では、歌がへたでも構わないのかというとそういうわけではなく、前述の通り、消費者(ここではファンではない、初見の人という意味)にとって、アイドルが持つ背景は関係なく、出されたもののクオリティだけで良し悪しを判断するわけですから、なかなか難しいものですね。 

 

10月のヴイアラについて:

 10月のヴイアラは「配信力」がテーマということで、もう少しアグレッシヴに配信として攻めていくのかと思っていましたが、ゲームばかりしていましたね。まあ、7月の歌のあとに太鼓だったのと同じように、9月のテーマはだいぶ重かったので箸休めということでしょうか。正直、3Qのスタート月にこんなことしてていいのか? と思わないでもなかったですが、9月が重すぎただけに休憩も必要かもしれないと考えています。

 とはいえ、「これ」といったテーマがないからこそ、3人それぞれ配信、配信外含めて思い思いの「試してみたいこと」に取り掛かかる時間があったようで、候補生の意欲を感じる月でもありました。

 

マンスリー投票について:

 10月のマンスリー投票は最初から投票数が見えなくされていましたが、これは今後もそうなのでしょうか? 10月はポータルの結果=マンスリークイーンというかなり特殊な環境だったから最初から目隠しされていたのか、それともファン活動(布教)を激化させたいから目隠しにしたのか判断がつきませんが、個人的には、大して面白い結果にならないと思っているので、11月は元に戻ると良いなと思います。

 面白くならないというのは、ポータル投票の結果は、放っておけば宇宙が勝つのが当たり前だからです。フォロワーやチャンネル登録者数、同接を見れば宇宙がひとつ抜けていることは明らかです。これは、SNS戦略や、勝ちたいという気持ちをマメに発進し続けた宇宙の努力の結果です。それは褒められるべきことですが、ポータル一強という状況よりは、投票数が明らかな方が、浮動票がバランスを取ろうとするので、見ていて面白みがあるかなと感じています。

 

ファン界隈での「新規流入が頭打ちなのでは?」という話題について:

 そもそも、Vtuberというジャンルは、本来かなり下積みを必要とするジャンルです。ヴイアラは、企画としては確かに折り返しを過ぎましたが、同時に、スタートしてまだたった半年しか経過していないことを忘れるべきではありません。

 いくらファンが焦ったところで、ファンができる「新規流入が目に見えるほど増えるような活動」「知名度が上がる活動」は限られています。それは、例えばSkebで時津風アーボックレベルでミームになるほどヴイアラのイラストを発注しまくるとか、金銭が発生する活動がほとんどです(ちなみに時津風アーボックの人は数百万使っています)。大抵のファンにはそのような活動は不可能でしょう。であれば、できることといえば、新しく人が来る機会があったとき、「ここ寂れてんな……こわ、近寄らんとこ」と思われない程度に人がいる状況を維持し続けることくらいしかないと思っています。

 

ボカロ歌枠について:

 メジャーなテーマの割に思ったより集客できなかったという印象です。明確な宣伝対象がいなかった(「ボカロ」では大雑把すぎる)のが悪かったのか、月曜という日程が悪かったのか。この点が、前述の話題が発生した一因になった部分はあるかと思いますが、まあ、知らんやつの歌枠を見に行こうと考えるほうが稀だと思いますから、運営は歌枠と並行して単純な露出の機会をもっと増やしたほうがいいのではないかと思います。

 

ボカロ歌枠個別評価:

愛夏:

 個人的には、普段は愛夏のステージ構成を評価しているのですが、ボカロ歌枠に関してはその強みが生かせていないように感じました(配信で、「自分で曲の順番を決めていない」と言っていた気がしたので、仕方ないのですが)。主な原因ははっきりしていて、ハロ/ハワユを歌うのが早すぎる。

 この曲を聞いている時、異様に声が震えていて、「まだ高いキーを歌う時に声が震える癖が直っていないのかな?」と思っていたのですが、本人が言うには「入れ込みすぎて泣きそうだった」そうです。

 この曲は、ボカロ歌枠のトップバッターである愛夏の、それも2曲目です。当然、客のボルテージは上がり切っていません。そんな状態で、歌う側が入れ込みすぎてしまうと、客と演者の間に温度差が出来てしまいます。歌自体は、愛夏自身が思い入れたっぷりに歌いあげ、非常に味わい深いものだっただけに、もったいないように感じます。

 また、これは個人的な嗜好もありますが、グッバイ宣言の音域は、愛夏の強みである「表現」の幅が狭く、面白みが少ないように感じます。からくりピエロでもまだキーが若干高いように感じましたが、こちらはブレスやかすれ声、ウィスパーボイス、なめらかな音程変化での色気の表現(特に歌枠21:38~43がお気に入りです)など、歌に表情が感じられました。愛夏が本来得意とする音域は、もう少し低めなのではないかと個人的に感じます。

 今までの話題とまったく関係ありませんが、愛夏の歌枠では、歌詞を書いてきたノートのページをめくる音が毎回入り込んでいました。意図したものでないことは承知の上ですが、実は私はこの「演出」がけっこう好きでして、「愛夏が、歌を”本”に見立て、ひとつひとつの”物語”を読み(=歌い)、最後に次の物語を読むためにページをめくる」という情景を勝手にイメージして、味わい深さを感じていました(わかる方はSound Horizonの「Chronicle 2nd」をイメージしていただければと思います)。

 

 また、今まではSNS戦略がおろそかだった愛夏ですが、10月は「料理」をテーマに企画を行ってみたり、「愛夏の一番可愛いところ」を募集するというファンコミュニティとの交流を行ってみたりと、前向きに挑戦しており、その部分も好感度が高いです。

 

宇宙:

 個人的に、今回もっとも「歌唱」の部分で成長を感じました。元々、事あるごとに「高音(の透明感)が武器になる」と主張していましたが、今回はその部分をはっきり磨いてきたなという印象です。

 今までは高音への切り替えがスムーズにいかなかったり、高音の伸びがいまいちだったりしましたが、今回の歌枠ではその部分が解消され、明確に「武器」として数えられるものになったと感じました。

 特にブラック★ロックシューターは明らかに完成度が違い、入りから圧倒される程でした。元々、BRSが好きだと言っていたこともあり、圧倒的な歌い込みの差を感じました。この歌を「下半期の決意表明」と語り、自分自身をオーバーラップさせた部分もさすがのパフォーマンスの上手さでした。この曲は本当に全体を通して完璧だと思います。

 配信で「歌うからにはみんなでもっと盛り上がりたかったのに、(聞く側がボカロ曲を)全然知らなくて残念だった」と言っていましたが、年齢差を考えろ!ボカロというそれなりの歴史があるジャンルでは、いたしかたないことだと思います。

 

 一方、10月前半の宇宙はかなり迷走していて、正直見ていてイライラする程でした。今現在の方向性が当初考えていたプランと違うとか、あるいは望んでいない方向に進みつつあるとか、もしくはただたんにネタ振りだったとか、色々な要因はあるかと思いますが、10月前半はとにかく活動のコンセプトがまとまっておらず、かなり散漫な印象を受けました。ただ、中盤以降はしっかり立て直していたので、その点は流石にスペックの高さを感じました。

 

レトラ:

 レトラに関しては、ボカロ歌枠ではなくレトラ誕の方で評価したいですが、少なくとも今までの歌枠の中では一番ステージそのものの完成度は高かったと思います。

 圧巻だったのは「心做し」ですが、すべての曲で、今までの自分がつちかってきた歌い方だけでなく、意欲的に「歌」そのものに対する新しいアプローチを試していたように感じます。「レトラといえばこういうタイプの歌」ではなく、「レトラといえば”歌”そのもの」というイメージを目指しているのかなと感じましたし、そのコンセプトを持って今回の歌枠にのぞんだのであれば成功だったと思います。

 

 9月パフォーマンスで「アイドル」というものへの挑戦の仕方について吹っ切れたように感じたレトラですが、10月は再度、迷走してしまいました。個人的には、「何も口にさずに、自分の中で違和感を大きくして潰れてしまう」より、「なんでも口に出して、小さな爆発を起こすことでガス抜きしていけ」というタイプなのでレトラの†闇†post自体は別に構わないと思うのですが、タイミングが悪かったのは否めないかなと思います。

 10月はマンスリーご褒美のトワスカ動画がありましたが、意図するところはわかるとはいえ、もう少しレトラの強みをアピールできるようなものになると思っていたので、あのディレクションは微妙に感じました。ただ、わんなべから一貫して「今しかできない表現」(初々しさ、爽やかさ、未成熟であることの表現)にこだわっている印象なので、一貫性はあるのかなという感じです。

 いずれにせよ、レトラに関しては、レトラ誕を迎えるまでは「言ったからにはやってもらう」のスタンスでいる予定です。

 

以上。