「君、影薄いね」と貴方は言った

ネットの片隅に生きるだらだらしたアラフォーブログ

ヴイアライヴのファンです。例の件についてすべてお話します。

 まず初めに。何らかの間違いでこのエントリを開いてしまった愛夏、宇宙、レトラは、すぐにブラウザを閉じること。また、ナイーブなファンも同じようにブラウザを閉じること。

 

 

■はじめに

 さて、無事に最終審査も終了し、久しぶりにツイックスを「ヴイアラ」で検索していると、ある話題がチラチラと目につくようになりました。曰く、「茶番だと言われてるけど~うんぬんかんぬん」。

 個人的には、この審査結果について、茶番だと言われようが大した問題に感じませんが、確かに、ヴイアラには追っている人間だけが感じられる独特の空気感があったように思います。

 そこで、ヴイアライヴをまがりなりにも1年追いかけてきたファン目線から語る、「ヴイアライヴとは何で、ファンは何を焦っていたのか?」をお話しようかと思います。「ヴイアラの配信は9割程度リアタイしていて」「ディスコード等のファンコミュニティには属さない」という視点からの所感ですから、別の見方、感じ方があるかもしれませんが、その時には歴史的資料としてブログなりに書き残しておいていただけると、後から「あの時期はこんなだったね」と話すときの助けになるかと思いますので、ぜひお願いします。このエントリは、「少なくとも、ひとりはこうした見方をしていた人間がいた」という資料です。

 

■ヴイアライヴとは何なのか?

 そもそも、「ヴイアライヴ」とはなんだったのでしょうか?

 これは、1年経過した今でも、私が6月に書かせていただいた「ヴイアライヴ解析・完全攻略」(https://blue876.hatenablog.com/?page=1690868440)からほぼズレることはありませんでした。

 つまり、「ヴイアライヴ」とは、「ゲームの『アイドルマスター』を現実で再現しよう」という企画でした。通常配信やメン限、1on1などで候補生とコミュを構築し、好感度を高め、イベントを発生させ、彼女たちの成長の助けとなりつつも、ファンを増やすためにあれやこれやと奔走する。最終審査で一定数のファンが獲得できなければ、その時点で活動終了(ゲームオーバー)。この1年のプレイヤー=我々の目的は、来たる最終審査の日までに、この足切りゾーンを超えるファンを獲得することだったわけです。

 さて、ここで賢明な皆さんは、こう思うかもしれません。

「いや、言うてゲームはゲーム、リアルはリアルでしょ」

足切りなんてされるわけないじゃん。売り出したいんだろうし、「ゲームっぽい演出」をしているだけでしょ。金だってかかってるんだから」

 あるいは、こう思われるかもしれません。

「他人の人生を「ゲーム」扱いするなんて、そんな人の心がないことある?」

 

 結論から言います。

 このヴイアライヴという企画のコンセプトは狂っています。少なくとも、ヴイアライヴを追いかけていた一定数のファンは、その「狂気」を感じていたはずです。だからこそ、我々は最終審査を前に焦りを感じていたわけです。

 

 ヴイアラのコンセプトの何が狂っているか?

 それは、「ゲームの再現」どころではなく、「ヴイアラは完全にゲーム、あるいはアイドルマスターとしての”リアル”である」と運営が考えているところです。運営がこの1年、まともにヴイアラを宣伝してこなかったのも、「1年目は候補生として活動するわけだから、その時点で売れるのはおかしい」という思想を持っているからだと私は考えています。なんなら、運営的には、「ヴイアラは、この時点で売れて欲しくない」とさえ思っていたかもしれません。

 ヴイアラという企画は、「年頃の少女の貴重な1年」と、顔も見たことがないようなプレイヤー=我々の1年をbetさせ、リアルでアイドルマスターをやらせるという、およそまともな人間では考えつかない、考えついたとしても実行しないコンセプトの企画なのです。少なくとも、私の視点では。

 

 多少救いなのは、我々や候補生3人が「ヴイアライヴ」というゲームの範疇にいる限りは、運営は比較的、好意的だというところです。そこら辺のV界隈や地下ドル界隈では、所属アイドルの人間性を無視したようなクソ運営の話などざらに見かけますが、ヴイアラは違います。

 候補生たちとの関係もそれなりに良好っぽかったですし、早々にLive2Dのアップデートに着手したり、めちゃくちゃ出来の良い3Dモデルを用意してくれたりします。

 あるいは、始動してすぐに帯番組を開始し、MCに売れっ子芸人である土佐兄弟、ゲストも各界隈の著名人をお呼びするなど、かなり前向き、前のめりにアクションを起こしてきました。アイマス界隈のえらい人をゲストに呼んでみたり、内部に対してコネを作る機会も多く提供してきました。

 放送中の度重なる不手際は、「スタッフがヴイアラという企画をどうでもいいと思っていててきとうだから」というよりは、単純にスタッフの社会人として、あるいは「他人が人生を賭けた企画に参加している」という意識が低すぎることが原因という印象です。

 

 このように、運営は決して、ヴイアライヴという企画を消耗品だと考えているわけでも、別にどうなってもいいと考えているわけでもないというのが私の見解です。ただ、運営が興味を持っているのは、あくまで「最終審査を無事終えること」であって、「3人が合格すること」が望ましいけども、駄目だったら駄目だったでそれも結果だよね、くらいに考えているっぽいだけです。「3人合格」がグッドエンドだとすれば、それを目指して頑張るのはあなたたちプレイヤーの仕事だよ。私はこの3ヶ月、運営からはそういわれているように感じていました。

 

■1年を振り返りながら、心境の変化を追う

 さて、ここからは1年を通じて、「ヴイアライヴ」というものにどう関わり、どう意識が変化していったかを振り返っていきたいと思います。

 

・4~5月

 4~5月は、そもそも追いかけている人間も少なかったですし、熱心に追いかけるファンは更に少なかったです。大半の人間が「様子見」の状態で、私も「孫を応援するおじいちゃん」みたいな気分でしたし、ヴイアラを好意的に紹介するエントリでも、大半は「なんとなく遠巻きに見ている」とか、そのレベルの距離感でした。

 

・6~8月

 5月を終えた時点で、ヴイアライヴが非常に「ゲーム的」な構造であるということは、複数のファンが指摘するところでした。また、8月頃になると、「ヴイアラは我々の世界の話ではなく、アイドルマスター世界の存在の話なんだ」というコンセプトが明確になりました。

 私のエントリを振り返ると、この頃には「ヴイアラには長期的なロードマップがある」と指摘しています。実際、今でもヴイアラには長期的なロードマップがあるとは思っています。しかし、8月時点とは違い、この「長期的なロードマップ」は、例えば「この時点で歌枠、この時点で誕生日配信、ここで最終審査、ここでデビューお披露目」程度のかなり大雑把な枠組みであって、細部はほとんど詰めていないかもなという印象に変化しています。

 

 私のエントリを振り返ると、「デビューをモチベにしている以上、それが消えると企画の芯がなくなるので、候補生2年目もありえる」という見立てをしていたようです。つまり、この時点では「少なくとも2月の最終審査は茶番とは言わないまでも、そこまで重要なイベントではないだろう」と考えていたようですね。

 

・9~11月

 TGSや公式番組9月回を経て、候補生を応援する気持ちに熱が入ってきた頃です。5~6月の同接2~300人前後だった頃から少しずつ同接も増え始め、9月回で候補生たちの「本気」を見たことで、ファンも夢中になって候補生たちを応援し、その結果としてファンコミュニティが活性化するなど、ファン活動に「楽しさ」が加わってきた頃ですね。界隈の空気的に、この頃、最終審査の件についてそれほど深く考えている人間はいませんでした。「まあ、なんだかよくわからないけど多分いけるんじゃね?笑」くらいに考えていた人間が大半という印象です。3Dお披露目やリローディングの初披露があり、非常に界隈が楽観的だったことを覚えています。

 

・12月

 異次元フェスの前説を担当したことで、ヴイアラの知名度が2~3段階くらい向上しました。「ヴイアラ」で検索したとき、これまで以上に好意的な意見が見られるようになり、4~5月から追っているファンにとってはかなり嬉しい時期でした。

 

 そして、それが一変するのが12月17日です。

 

・12月17日

 ズマによる「重大発表」とだけ書かれた配信がはじまりました。

 重大発表の内容は「オンラインライブ決定!」というめでたいものでしたが、同時に発表された「デビュー条件」が大問題でした。

 

「動員数(チケ販売数なのか、リアタイ視聴数なのか不明瞭)+最終審査投票数の合計が5000以上の候補生は全員デビュー」

 

 これを聞いたとき、ヴイアラを追う歴が長ければ長いほど固まったと思います。

「5000? いや……きつくないか?」

 と。

 ヴイアラを追っている人ほど、普段の配信の同接数、歌枠の同接数を知っています。それがどれくらい前後するかも、よーく知っています。それで5000。はっきりいってかなりギリギリだと思いましたし、上手く設定されている数字だとも思いました。当時の中間審査ごとの票の伸びを考えれば、商業的に目指しているだろう2000枚程度のチケがさばければいけるか? という想定でいました。しかし、ここからどんどん票読みが難しくなっていきます。

 

・12月末の3Q中間投票

 異次元フェスでの知名度向上と、最終審査のボーダーで危機感を覚えたファンたちの宣伝活動により、3Q中間投票の投票数は飛躍的に伸びました。しかし、それが逆に最終審査の票読みを難しくする結果になってしまいました。簡単に言うと「伸びすぎた」

 最終審査は3月末です。しかし、12月の時点で人が流入しすぎてしまった。本当の意味でファンになってくれた人が多いなら良かったのですが、ヴイアラの境遇に同情し、義理で投票してくれた人がどれだけいたのか? そうして投票してくれた人が、果たして3ヶ月後まで残るのか、残らないのか? これが全くわからない。

 一部では楽観視する向きもありましたが、投票系で楽観視はご法度。常にネガティブを考え、そのために備えなければなりません。更に加えて、3Qでは愛夏にQQを取ってほしいという人が多く、愛夏票が多くなり、結果として歪な票割りになってしまった。そのため、最終審査の票割りをどう行えばいいのか、これも不明瞭になってしまいました。

 本来なら嬉しいはずの知名度向上、投票数増加が、逆に最終着地地点を不鮮明にしてしまう結果になったのは皮肉なものです。

 

・1~3月

 2024年を迎えてから、運営はまったくと言っていいほど何の宣伝もしてきませんでした。最終審査を前に、異次元フェスで伸びた知名度を少しでも維持、向上させて行かなければいけない時期にも関わらずです。

 ここに至って、ヴイアラファンは勝股という男の異常性を、少しずつ感じ取り始めます。「勝股って、もし誰かが5000票に届かなくても、「いや~今回は残念でしたね!」とかいって流しそうだよな」。そんな話をすることもありました。

 私の勝手な見立てですが、異次元フェスでの知名度向上は運営にとってはあまり望んだ結果ではなく、この3ヶ月の動きのなさは、あえて知名度を落とし、ファン活動と候補生たちの地力で試練を乗り越えて欲しいという狙いがあったように感じています。人の人生で遊ぶな。

 挙句の果てに、2月末に発表されたチケ販売数は、なんと1208枚。商業的な成功(と勝手に私が見立てていた)ラインの2000枚どころか、1500枚にすら届いていなかったのには、かなりの衝撃を受けました。仮にチケ1500枚、投票3500票でデビュー決定したとしても、「その後」を考えればかなり苦しいと言わざるを得ない数字です。可能であればチケ2000枚以上の売上は確保したい。

 

 なぜ一般人である私がそんな事を考えなければならないのか?

 それは上述の通り、ヴイアライヴが候補生どころか我々の人生をもbetさせる異常なコンテンツだからです。

 

 こうした運営のプロモーション的な協力も望めない、票も届くんだか届かないんだか読めない、勝股はサイコパス気味という霧の中を我々が彷徨う一方で、候補生たちはどんどん成長していきました。その成長を見るたび、私は「この子たちをなんとしてでもデビューさせてあげたい」と思い、様々な活動に取り組んできたわけです(といっても、私の活動などはほんとささやかなものですが)。

 

 結果として、多くの方の熱心な活動や、善意によるご協力、何より、候補生自身の魅力によって、ボーダーを大きく超えるチケ販売数、得票数を達成できたわけですが、ファン目線では、決して「茶番だった」と言えるほど楽な環境ではなかったことは本当です。勝股が異常だから。

 

「1人だけ5000票を超えられない候補生がいたとしても、こいつなら特にワンチャンもなくそのまま1人だけ脱落させてデビューさせる」、そういう凄みが勝股にはあり、それが我々を宣伝活動に駆り立てた。私の解釈では、そういうことになっています。

 

以上。